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私流カミングアウト(3)~原風景を辿る [随想随筆]

人の心というものは数値で推し測ったりセオリーで解析したり出来るような単純なものではない。何層にも重なった時間と環境を織り交ぜてひとつの人格を形成してゆく。根源的な魂の次元から深層心理としての精神性があり、表層的には社会教育や成長環境によって作られる人格性格が何層にも亘って築かれる。人間が多面的であることの所以だ。

自分自身を語るとき、殆どの場合は自己防衛が働くもので決してすべてが真実であるとは言えないことが多い。少なくとも主観的な観察であるからには公正な判断とは言えないからである。


幼い頃の原風景をあぶり出してみる事が自分を振り返り考えてみるひとつの方法だろう。年月が過ぎた今でも記憶というよりも心のどこかに染みついて、時にはトラウマの様に時には慕情となって目の前に表われるカットバックの一場面。それは不思議な感覚で私であって私でない別次元にトリップさせてくれる。私が原風景というものに惹かれる理由はそんな処にある。

母と台所.jpg

「裸電球の炊事場」「枕元で眺める絵本」「真冬の朝の停車場」諸々の状況の欠片にはそれぞれに物語がある。人生は個人的に秘めた創造の物語なのかも知れない。怒り悲しみ憎しみがあるから輝いて見えるものもある事に気がついた。

冬の停車場.jpg

いずれまた何処かで何らかの形で私の原風景という玩具箱をひっくり返してみる事があるだろうと思う。人生の棚卸しの時に納屋にしまってある原風景の一つ一つを噛みしめて改めて検証しながら振り返る事だろう。

 

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漫描雑譚/カックン親父と爆笑ブック [ギャラリー]

昭和三十年代、全国的に貸本屋が流行っていた時期があった。団塊の世代と呼ばれる層が小中学生だった頃の時代だ。当時の少年たちを夢中にさせていたものは月刊雑誌に連載されていた「少年ジェット」「まぼろし探偵」「七色仮面」等でTVでも実写で放映されていた。(ちなみに当時は娯楽もまだ男性主体の風潮で、少女たちの間でも人気の少女雑誌はあったがTV化されるものは少数だったように思われる。)

貸本屋に置かれている漫画の多くは「劇画」といわれる青年向けのもので、一般書店の少年向け雑誌とは一線を画していた。さいとうたかを、佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロといったアクション派や、いばら美喜、古賀新一、水木しげるの怪奇・怪談、そして小島剛夕、白土三平、平田弘史の時代劇画などひしめき合う競合の中でギャグ漫画として人気を誇っていたのが滝田ゆうの「カックン親父」だった。

爆笑ブック01.jpg

主に短編読み切りだった愉快な漫画を“ギャグ漫画”と呼ぶようになったのは赤塚不二夫の頃からで、それ以前は“ユーモア漫画”と呼ばれていて少年雑誌の分野では前谷惟光、山根赤鬼・青鬼、板井レンタローなどが活躍していた。その後トキワ荘グループの中から赤塚不二夫、藤子不二雄、石森章太郎たちがメジャー雑誌界を席巻するようになるが、貸本の世界では『オッス!』の水島新司(後に「ドカベン」「野球狂の詩」など野球漫画で一世を風靡するが当初は関西お笑い漫画の人気作家だった)そして『爆笑ブック』で連載していた滝田ゆうといった面々が活躍していた。
私はその中で何といっても滝田ゆうの「カックン親父」が忘れられない。子供ながらにもカックン親父の軽妙なユーモアが大好きで、当時ファンだったクレイジーキャッツの笑いとシンクロするところがあった。笑いのツボがTV的でその画風や動作の描写は天才的だと思っていたが、数年後にメジャー雑誌に登場するや否や「寺島町奇譚」を発表して押しも押されもせぬ“人情漫画の雄”となった。

カックン親父_B.jpgカックン親父_2頁.jpg

貸本時代の名作の復刻を願っている私の推薦版のひとつに、この「カックン親父」は欠かせないユーモア漫画の秀作である。まさに今の時代にはもう見ることも出来ないであろう昭和の匂いのする逸品と言える。

 

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