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ドクトル・チエコの思い出 [タイムスリップ忘備録]

【ドクトル・チエコの思い出】

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<ドクトル・チエコ> 昭和30年代、主に「明星」「平凡」など芸能雑誌や「少女」「りぼん」など少女雑誌の「性の悩み相談コーナー」で執筆していた女医。

 思春期の若者に性の悩みはつきものであったが、とりわけ女性の心と体は複雑でミステリアスなものらしく、小学生だった私は姉の購読する雑誌の相談コーナーを覗いては訳の分からない用語や解説にとまどっていたものだ。充分に理解は出来ていないのだが、そこに登場する様々な相談とその解答が何故か生々しい感触で、知ってはいけないものを知ってしまったような後ろめたい罪悪感とスリルのような快感があったように覚えている。
 ドクトル・チエコという名前はいつの間にか頭に入ってしまった。毎月毎号、目を凝らして記事を眺めているのだから当たり前なのだが、その片仮名の名前が、登場する肉体局部の名称やセックス用語と絡み合って、とりわけ「アンネ」という女性生理の名称とはワンセットで連想してしまう程であった。

 昭和39年に東京オリンピックが開催されて、昭和45年に大阪万博が開催されるまでの数年の間に日本中が高度成長の国際化を標榜してその流れとして「性の自由化」が謳われていた。「フリーセックス」という言葉が“ポルノ解禁”の北欧スウェーデンを表わす流行語のようになっていて、若者文化の一端としての性文化が氾濫し始めた時代でもあった。
 かつては謝 国権の『性生活の知恵』がベストセラーとなって大人のための性知識として展開されていたが、それはこれまで閉ざされていた熟年層の性への好奇心が中心で、最も必要とされる若者たちへの啓蒙は遅れていたように思う。戦後生まれが十代半ばに差しかかった頃に富島健夫がジュニア小説というジャンルで登場し「ティーンエイジャー」という言葉が普及して、奈良林 祥(医学博士)と並ぶカリスマ的な性のカウンセラーがドクトル・チエコだった。
 彼女の場合は主に女性誌上での相談が多く、優しい口調のコメントが悩める女性心理を癒す貴重な存在でもあった。当時の思春期の女性はまだまだ社会的地位や独立意識も未熟で、良心的な指導者に頼らないと悩みが解決出来ないような女性としての自立心の薄い社会環境でもあって、ドクトル・チエコはそんな一時代前のまさに若者性文化解放の夜明け前のキーパーソンだった。


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<ご注意>
このコラムは二十年以上も前に発表した内容をそのまま転載しているため、その後に新事実が発見されたり、また今日では差別的とされる用語や表現があるかも知れません。『タイムスリップ』の趣旨としてそのままの形でアップしておりますので、その点はご了承下さい。



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徒然描写~3~ [日々の背中]

往く川の流れは絶えずして かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし
徒然なるままにカメラに向かいて そこはかとなく何をか写し出さんとや

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郷愁の中に見る風景は 夢か現(うつつ) か幻か…
輪郭のぼやけた世の中は もはや混然の墨絵の様だ

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「現在」は「過去」の延長線上に在る。今では見ることも無くなった風景の中に、生き続ける何かを発見することがある。

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