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-04- はじめての皿洗い [青年は荒野をめざした]

 

 日本を出てから一ヵ月以上が過ぎていた。いざという時のために帰国の費用として持って来た二十万円の所持金は半分以上無くなっていて、帰りたくとも帰れない状態だった。当てにしていた北欧では仕事にありつけず、思い切って当たってみたフランスでは大いに失望と自信喪失を経験しただけで、流れ流れてついに北の国イギリスにまで来てしまった。
 「もうこれが最後の地だ。」そう思ってたどり着いたのが早朝のロンドン/ビクトリア駅だった。ところがこの駅で運良く現地の情報をよく知っている日本人に出会い、雇ってくれそうなホテルがある事を教えて貰った。
 とりあえず宿を確保して荷をとき、さっそくそのホテルへ仕事を求めに行ったのだが残念そうな顔つきで「今は無い」という答えが返ってきた。しかしとても優しそうなオジサンだったので、こちらも少し気持ちが楽になって「何とかならないか?」と頼んでみたら「その内、空きがあるかも知れないからまた来なさい」と言ってくれたのだった。
 人の気持ちというのは面白いもので、実際には仕事にはありつけなかった訳だが、そんな事よりもこれまであまりにも冷遇を受けていた私は、この望みのありそうな言葉にものすごく感謝をしたのだった。人間は望みと期待を感じていれば決して破滅には向かわない。反対に希望のない言葉は、それを話す者も聞く者も運から見放されるものだと思った。

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↑ ロンドンの繁華街ピカデリー・サーカス

 

 どんどんお金が無くなるのを心配しながらも私は毎日そのホテルに足を運んだ。
 「もう、ここしかない。」という思いと「ここなら、ありつけそうだ。」という勘があった。 毎朝毎朝「仕事ないですか?」と聞きに来る私に「ソーリー(残念だねえ)」と一言。これだけで一日が終わってしまうのだが、仕方がない。まだ十八の青二才だった私は上手な策も思い浮かばないまま、ひたすら通う事しか出来なかったのだった。

 しかしある日、ついにオジサンが笑顔で「ネクスト・ウィーク」と言ってくれた。この時ばかりは本当に自分の耳を疑った。宿に戻ってからも「確かに“来週月曜日に来い”って言ったよな」「聞き違いじゃないよな」と何度も自問自答していた。
 「やった!ようやく働ける。」日本では友人達が大学受験に忙しい日々を過ごしていただろうが、私はヨーロッパのこんな所にまで来てまったく違う体験をしていた。

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↑ 夏目漱石の小説にも登場する「倫敦塔」

 

 週明けの月曜日にさっそくホテルのバイトが始まった。仕事は皿洗い。もちろん生まれて初めてだった。日本を出る前の六ヵ月間、旅費を作るためにバイトをした経験はあったが、皿洗いなんて家でもやった事はなかったし要領も分からなかった。
 しかし初めての職場はナイトクラブで、夜の9時から翌朝7時までの夜勤だったが割と楽な仕事だった。真夜中のピーク時を過ぎてしまえば、つまみ食いをしたり仲間とふざけたりしていられる余裕があった。支配人が英国紳士であるだけで、後は大部分が外人労働者だったので全然緊張感もなかった。職場の連中はイタリア、スペイン、アフリカ系の黒人といった感じでアングロサクソンはいなかった。後にドイツ人シェフの管轄に配属されて厳しくハードな仕事をする事になるのだが、この頃はウェイトレスの女の子とも仲良くなれてとても楽しい職場だった。
 一ヵ月が過ぎて仕事に慣れてきた頃、同じホテルの別の場所で働いている日本人と出会った。彼の方がこのホテルでの仕事は長いらしく色々な事を教えてくれた。真夜中が過ぎて3時頃になるとお互いに暇になるので、申し合わせてホテル内の冒険に出掛けたりもした。
 このホテルはバッキンガム宮殿から少し離れたハイドパーク沿いにある一流ホテルだったので、何から何まで高級品ばかりで出来ていた。スイートルームに忍び込むと、普通なら一生横になる事も出来ないような見事な豪華ベッドがあるし、インテリア調度品なんかは理性がなかったら頂いてしまいそうなヨダレの出るものばかりだった。
 しかし実はその頃の私はそんな物に全然興味がなく、ただ嬉しかったのは誰も居ないキッチンで冷蔵庫に入っている高級食材を好きなだけ食べられる事だった。教えてくれた日本人の友人は下宿に帰ってからの食事の分まで包んで持って行くらしかったが、私はそこまでする気はなかった。別に悪いからというのではなく、たまにスリルを感じながら食べるから美味しいのであって、下宿で一人で食べていても飽きてくると思っていたからだ。

 せっかくイギリスに来たからは本場の英語でもマスターしようと思って、外人向けの英会話学校に通い始めたのだがこれがまた楽しかった。
 ロンドンに働く外人ばかりが生徒なわけで、さすがにイタリア人なんかはよく喋るからデタラメ半分でも話す事は話せるけれど、文法問題を中心にした試験となると年齢は私が一番若かったのに常にトップだった。自分の英語力なんて中学程度のそれも普通並みなのに、この時は本当に「日本の学校教育はスゴイなあ」と我ながら感心した。
 そんな調子でいつも最後に先生から指名されて正解を答えるのが私の役目の様になりクラスの中でも人気者になってしまった。スペイン人の可愛い女の子達からは憧れのまなざしで見られたりもして、改めて“日本人って外国では有利だなあ”なんて有頂天になっていたのだった。

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↑ 外国人向け英会話学校の学生証(上)

 

 初めての経験にしては順調に楽しくやってこれた職場だったが、三ヵ月も過ぎた頃ドイツ人のコックが仕切っている別の仕事場に移された。こちらに移ってからは、仕事がハードなものに変わった事も理由だが同僚のイタリア人とソリが合わずよく言い合いになったりして、ストレスの溜る職場になってしまった。結局最後にはシェフであるドイツ人とも喧嘩して「来週から来なくていい」と言われたので、「たった今すぐやめてやる。」と言ってサッサと帰って来てしまった。(まるで第二次大戦と同じようにドイツ、イタリア、日本の三国同盟はあっけなく崩壊した。)
 あんなに苦労してようやく見つかった職場で、おまけに学校まで通ってうまく行っていたのに…。少し後悔もしたが、またしても再び職探しをするはめになってしまったのだった。


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