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私流カミングアウト(1)~父親の出自 [随想随筆]

とても多くの人たちがこの So-net ブログに繋がっていて、その中には“小説より奇なり”といった体験をされている方もたくさん居られるようだ。

実際、世の中には小説や物語を超えた現象・事件・体験が驚くほど多くある。
私の父もその人生に於いて比較的多くの事件に遭遇した人で、生前中に聞かされた話にはいくつかの驚きの事実があった。

私が生まれた時には既に鬼籍となっていた祖父が生前は地元の顔役として名を馳せていた事や、祖母の知己には“腹切り問答”で有名な政治家・濱田國松という人物がいたという事実などなど父の生前中には興味もなく聞き流していた事を惜しく思う。

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 ▲衆議院議員時代の濱田國松翁(Wikipediaより抜粋) 

私の父親は明治44年生まれだったので、最後の一年間の明治時代を含めて大正、昭和、平成と四つの時代を生きたことになるが、改めて父から聞かされた逸話の数々を思い返してみると父の気概のようなものを知ることが出来る。

祖父にしても私にしても我が家の男たちはどうも波乱万丈で普通の人生を歩まない運命らしく、父も同じくドラマチックとも言える様な人生を生きた。

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そういった事もあって両親や祖父母の出自や身辺事情にふと興味が湧き、改めて家系を調べて整理してみたいと思うようになった。
丁度タイミング良く雑誌の特集で「自分史と家系図」の特集をやっていて、役所の戸籍謄本は死後150年間保存されている事を知ったので、早速父親の本籍地の役所まで行って発行してもらって来た。

そこには色々と新しい発見があった。そのひとつは私自身の出生地が思っていた所と違っていたことだった。子どもの頃の話の中から勝手に決めていたもので、思えば誰からも確かめたことはなかった。今回の謄本から初めて分かったことだった。

自分自身のことをより深く理解しようと思うとどうしても両親や、そのまた先の祖父母の人生に触れることになる。
私は精神面では父親の影響を多く受けて育ったように自覚しているが、その父自身は祖父と対立し祖母を背負って生きて来た時代があったように聞いている。
三男として生まれ育った父だったが、長男・次男の二人が夭逝したために一家の柱という立場になってしまった。東京の大学まで進んで将来は外交官になる夢を持っていた父だったが、祖父の負債や親族間のトラブルなどで家庭崩壊した後の一切を背負って生きる事となったのは事情を知る者にすれば不運という風に理解できるだろう。
 

そして父が面倒を看続けて来た件の祖母は私が物ごころつき始めた4歳の頃に亡くなった。かすかに残っている記憶ではとても品のある物静かなお婆さんだったように覚えている。
地元で有名な旅館の次女として育って、どういう訳か遊び人の旦那衆だった祖父の所に嫁に来たようだ。たぶん明治時代の昔の事だから、たぶん自分の意志ではなく祖父の強引な求婚と周りの者たちの口添えだったのだろうと推測する。何故なら、祖母の結婚生活は淋しいもので、祖父は妾をつくって晩年には名古屋の別宅で暮らしていたという話だから、今では考えられない理不尽さだったようだ。

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それでも彼女は明治の女性らしく慎ましやかだけれど気丈夫な女性だったようで、祖父を亡くして未亡人となった後にも戦禍をくぐり抜け息子に世話を掛けぬよう心掛けて天寿を全うした。

私の父はその様な独り身の祖母を背負って生きて来た不本意な時代があったわけだが、遊び人で放蕩三昧と言われた祖父に対して若い頃は否定的で反発していた父も晩年になってからは亡くなった祖父の生き様を弁護する事はあっても批判する事は無かった。
父からよく聞かされて覚えているのは「祖父は子供好きで子供を可愛がる人だった」という事だ。反抗もしてよく喧嘩もしていたという割には大切にして貰ったような口ぶりに不思議な感じがしていたが、私も年齢を経てから親子として男同士としての関係に理解が出来るようになった。

ひと頃は父親の生き様を反面教師と呼んで否定した事もあった私だったが、考えてみればその父の背中を見て育ったのも私である事に違いがない。自身の考え方や生き方の方向性を形成してゆく過程で父親の数々のエピソードが影響を与えていることに気づくのは私が父親を越えて成長したと思える後のことだった。

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