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洗礼~通過儀式 [制作日記]

『人』というものは洗礼を受けなければ強く生きられない生きものなのかも知れない。

痛みを伴わなければ本当の快感が得られない様に、不幸を知らねば幸福を知ることが出来ない様に。

全身全力で絵を描く事に没頭するという状態からしばらく遠ざかっている。そういう時は成り行きに任せて放っておくのが良く、モチベーションというものはけしかけて湧き出るものではなさそうだ。人の運命と同じ様に必然と偶然が混ぜ合わさって形づくられる、時を待てる者にしか得られない成功のカギのようなものだろう。

博徒勝負.jpg

欧米で洗礼と言えばクリスチャンのバプテスマの意味に直結するのだろうけれど、ここでは『艱難汝を玉にする』の“艱難”と捉えて考えたい。艱難がオーバーなら、自分の最も避けたいもの、忌み嫌うものといった意味に置き換える。
敢えて自分から進んで向かってゆく艱難なら覚悟もあるし厭わないだろうけれど、避けたくても避けられない意のままにならない宿命的な苦難は一体何のために受け入れなければならないのか?もみ消すことも無かったことにも出来ない“悲観の業”をどうやって背負ってゆけば良いのか?

この問いを考え、答えを探し求める中に解法のカギが埋まっている。

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悲しみも苦しみも通過儀式なのだと思う。
避けようとしたり無視しようとしたりは出来るかもしれないが、決して自分から離れ去る事は無い。通過して遠くから眺められるようになるまで背負い続ける、多くの人がそうやって経て来た生きることの重みなのだろう。

時を待つ 時に願う 時を信じる。

 


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