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プログラミングが小学校の教科になる [21世紀の種]

2020年から小学生の必修科目として「プログラミング教育」が加わるらしいです。
その為の事前アプローチなのか、文部科学省ホームページで『きみの絵をうごかそう!プログラミン』という面白いツールが公開されています。

プログラミン画面.jpg

さっそく私も使ってみました。
なかなか使いやすくて楽しくプログラミングの「基本的な考え方」が学べます。
文部科学省もスマートなコンテンツを提供してくれるものですね。

イヌやネコの絵が上下左右に動いたり回転したり、スピードも細かく調整できて思い通りに動かせます。
左右反転とか拡大縮小などもプログラミングで自在に指示が出来て、楽しく学べます。

とりあえず簡単なものを作って「保存」しました。途中から再開できるところが嬉しいです。

プログラミン作成画面.jpg 

慣れてくるとあれこれと効果を指示して付け加えたくなるものです。こうやってプログラミングの基本的なルールを身につけてゆくことが出来ます。

動画で使い方の説明もあります。将来の子ども達には英語学習と同じ様な感覚でプログラミングをコミュニケーション・スキルとなるのでしょうね。

こちらはワールドワイドに普及されている、ご存知 『Scratch』です。
海外でも多くの学校で採用されているらしく、世界の子ども達が作品をシェアしたりして交流をしているようです。

scratch_Top.jpg 

国産の『プログラミン』と比べて、よりきめの細かい仕様になっています。
キャラクターも自分で作れるようになっていて、好みのカスタマイズが可能なものになっています。
「繰り返し模様」や「ジャンピング動画」「自動演奏装置」といったプログラミングはそれぞれ算数・理科・音楽などの教科と組み合わせて使えるようになっています。

こちらが作成画面。私もあれこれテストしてみました。
この『Scratch』も作業を一旦中止して保存しておくことが出来るので便利です。
慣れて来たら豊富に準備されているプログラム・タグを設定して、自分の作った物語やゲームをシェアしてみたい気持ちになりますね。

scratch_My.jpg 

『Scratch』はイギリスのミッチェル・レズニック教授とその仲間たちが開発したコンテンツで、NPO「Scratch財団」が普及推進を支援しています。

子どものプログラミング教育普及の発端となったのはフィンランドの先進的な教育メソッドです。
自分たちのツールを使って自主的に考え取り組んでゆく姿には学ぶべき点が多々あります。
次世代の子ども達への教育の在り方は日本でも変わりつつあるように思います。変わらなければこの国は過酷な未来を迎える事になってしまいます。

2020年から採用される「プログラミング教育」が我が国ではどのような成果をみせるのか、21世紀に蒔かれる種のひとつと言えるでしょう。

 


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時代の表層~権力構造だけが引き継がれている [21世紀の種]

過去のブログを眺めていたら、2009年にこんな事を書いていた。
大体において過去の自分の文章を読んでいると愚かしさばかりが目に付くものだが、時代に流される自己の変化を確認する意味としては面白い。_______________ 

non_tytle.jpg 

 21世紀になって最大の不況が押し寄せている。他の国々の状況は実際のところは分からないが、少なくともアメリカと日本は揃って経済不況のようだ。
 日本では20世紀の最後の10年でバブルが崩壊し、低成長と困窮の中で21世紀が始まった。本来ならここで従来の価値観を見直して思考チェンジをしなければならないところだったのだが、チェンジの苦手な日本国家は相変わらずの報奨を追い求めながら10年間を過ごしてしまった。そしてその結果が全国的大不況だ。

 20世紀は大不況から世界大戦が始まり、それが世界を変え20世紀の後半を形成していった。21世紀初めのこの世界経済の行き詰まりも、きっと新しい思考を発見し新しい世界を形成するための「生みの苦しみ」となることだろうと思う。
 世界を救う新しい思考、新しい価値観とは何だろう?
 私が思うのは、見直すべきは少なくともこれまで光の当たってこなかった発想であり、非現実的と一蹴されてきた事柄にヒントはあるということである。

 21世紀には「宇宙次元」と「人間の未開発部分」として、いよいよ「四次元」と「第六感」が真面目に検討されるような気がする。
 次元を超える事。そして第六感を働かせる事。これによって21世紀は生まれ変わる。

___________________________2009年2月20日・記

☆ 

未開発の部分が着手されることによって新しい方向性が示される…と、まあこんな意味のような事を考えていたらしいのだが、果たして現実は理屈どおりに展開するものなのだろうか?

ひとことで言ってしまえば、人類はその歴史が始まって以来いまだにその野望の構造は変わっていない。人類は誰が地球上の世界を支配するかを延々と企て続けている。

何を基準にどのように世界をコントロール支配出来るか?それが世界のトップを自負する者たちの中心課題であり、そのための様々な方策が行政という形でオペレーションされる。

paltenon-2.jpg

手を変え品を変え、それでも世界はバチカンという大きな権威とロスチャイルドの影響下にあるように、そしてこの日本はいまだに日本書紀のディレクター藤原不比等(藤原家)の末裔の影響下にあるように、歴史は奥深い権力構造を引き継ぎながらその目的を遂行する。


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宇宙は大きな合わせ鏡… [21世紀の種]

「宇宙は大きな合わせ鏡のようなものである」…というのは私の勝手な想像なのだが、ともあれ21世紀前半はこれまでの歴史的視点から様々な問題定義がなされる機会とはなっても、新しいパラダイムを発見・構築するまでには至らないかも知れない。
とりあえず、自分たちの存在を宇宙という観点から客観視するに努めるところまでが限界で、それ以上は今世紀後半の人類に委ねることになるのでしょう。

underface.jpg

 

大きな合わせ鏡、または万華鏡(Kaleidoscope)のようなもの…それが私の中にある宇宙のイメージです。
何枚かの鏡を向き合わせて眺めてみると、どこまで行っても無限の世界が広がります。実際には有限の筈なんだけれど、どうしても無限としか捕らえ様のない世界。「有限の中に存在する無限世界」というのが矛盾するようだけれど、実はその感覚が宇宙の全体像を理解するポイントのように思えます。

今、天空に眺めている星々のいくつかは既にこの宇宙空間から消滅しているものでもあります。私たちの見ているものの中には残像のように“実体は無く既に消え去っているもの”も含まれています。
360° 鏡に覆われた空間にはたくさんの自分の分身が見えますが、本当に感じて確かめる事が出来るのは“ここで眺めている私という存在”のみです。(これが哲学者デカルトの言うところの「我思う故に我在り」という感覚ですね)

自分の外側に在ると考え・見ている宇宙も実は自分の内なる世界<脳の認知能力の世界>に取り込んで眺めている訳で、「宇宙とは内なる世界の反映されたもの」というのが人間の限界なのでしょう。
三次元に生きる人間にとっては、どんなに努力してみたところで宇宙の概念を自分を超えたところで理解することは出来ないのです。

宇宙の存在や時空の不思議、多次元の謎などの他に、人類はもっと緊急に対処しなければいけない問題をたくさん背負っています。
例えばクローン問題、エネルギー問題、人種と人口の問題などなど…。だから次元やら時空やらといったお遊びみたいに感じてしまうテーマにはさっさと結論を出して次に進めなくてはいけません。 

21世紀も後半になれば、もっと違う解答が見つかってくることでしょう。

 


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ミステリーサークルと宇宙の謎 [21世紀の種]

たまたまミステリーサークルの登場する映画を観ていて、唐突にミステリーサークルの存在を思い起こしていた。

一時期よく話題になった事があったが、今ではあまりその話しを聞かない。
人びとは、それについて何らかの結論を得たのだろうか?それとも他の多くの話題同様に、結局何も突き止めもせず迷宮入り、中途半端な好奇心だけ盛り上げて途中で引き返してくるような、まるで誰かの人生の生き方にも似た『未完結な行為』のひとつだったのだろうか?

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突っ込めば突っ込むほど、とんでもない(タブーな)方向へ行きそうだったので「結局は二人のイギリス人農夫のイタズラだった」という結論で終止符を打ったようだったが、実際にはそんなものではまだまだ解決出来ていない謎だらけなのである。
安易な結論でその疑問を締めくくろうとする画策にこそ要点が隠されている事を一般の私たちは悟るべきですね。為政者たちはいつの時代にももう少し先を論じているものなのですが。

ところで、宇宙とか時空に関しては私にもSFっぽい戯れ事のように思い浮かべる考えがある。
この「三次元においての宇宙」とは、そこに映った私たち自身を見ている“大きな合わせ鏡”のようなものなのではないだろうか?…そんな風に考えて何となく自分を納得させている。

よく物語などで語られる宇宙人の典型の多くは、昔から何故か地球を侵略したり人類と戦うパターンが多い。
未知のものを拒絶し恐れるという被害妄想的な傾向は生きもの本来の性質なのだろうが、人間の場合はもっと知的な傾向があって、自分たちの持つ邪悪さや救い難さを恐れるという部分がある。

そこで考えられるのは、“地球侵略を企てているように推測される宇宙人というのは、実は時空を越えて未来からやって来た人類自身の姿なのではないか?”という事。
人類は地球環境を破壊して宇宙の他の惑星に生存の道を求め開発に進んでいるが、それはもうひとつの地球に新たな活路を見出して移住しようとする試みであった。
宇宙的な観点から見れば、私たちは私たちの影に怯え、私たち自身と戦い、自分自身を克服しようとしているのである…なぁ~んてネ。

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天地創造 [21世紀の種]

営々と営まれてきた人間の歴史に於いて、様々なものが創造されてきたが、
それらの総体としての結果、どうしようもない毒も顕著化してきた。

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そもそも「社会」とは何なのだろう?人間が集まれば必然的に存在するものであろうが、何のために、どのような機能を期待されるものなのか?
誰のための誰にとって都合のよいものなのだろうか?

誕生・生命・自由・幸福・宗教・神仏・人間・死
そういった様々な概念のパラダイムを組み替える創造的発想が必要とされている。
私たちはこれまで一体何を学んできたのか?
人間の創造能力を活性化させて新たな天地創造が求められようとしている。
それは決して“ハルマゲドン”のような意味のものでも“ノアの方舟”でもなく、
誰かに扇動されるものでなく自己の内から生まれ出る「自然な生命の感情」である。

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まずは「経済発想から脱却できるかどうか?」「生命の営みをどのように理解・把握できるか?」
芸術家と呼ばれる者たちもその感性を生かして、再生と創造の概念を指し示す必要があるだろうと思う。

…だからこその芸術。与えられた天分と才能。
それぞれの世紀・時代によってその現れ方は違うだろうけれど、今21世紀における芸術のミッションは内面世界の探求から更に進めた、自己と外世界とのバランス・アプローチなのではないだろうか?

ごま半面.jpg

『創造』とは決して、現状を破壊して作り上げるものではない。
全く新しいものなどという錯覚に溺れては誤ってしまう。
『創造』とは歴史を拾い集めて“新しい組み換えをバランス良く創り上げる”ことである。

平成21年5月・記

 

【沈黙の調べ】


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信じるということは諦めないということ [21世紀の種]

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ささやかで微弱なものたちからこの世界は成り立っている。そのひとつひとつに、その一人ひとりに存在の価値があり意味が在る。

時間は延々と受け継がれて流れている。若者たちはいずれ老熟と出会い、老いたる者はその命の中に若さの因果を背負う。
答えを早く知ることには何の意味も無い。自分が利口であることを証明したかっただけの人生なんて…一体何になるのだろう?

特別に強くもなく特別に利口でもないささやかな人間の命が、この世界に愛情の存在することを証明しようとしている。
それが人であり、それが私たちの“生きている喜びの証し”なのだと思う。

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いつの時代にも狂気はあり、どんな世界にも幻想はある。私たちにとって大切な事はその葛藤の中で、求め続ける事をあきらめずに自分の魂を売り渡さないことなのだと思う。

これからもたくさんの絶望と苦悩が待っているけれど、そこから顔を背けずに向かってゆくことでその先のものが見えてくる。
逃げたり逆行することで癒されることはないけれど、前を見据えて踏み止まっていれば時間の流れが癒してくれるものだ。

【21世紀の種】


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21世紀の基本課題 [21世紀の種]

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廃棄物の問題、それも核廃棄物の問題はこれから人類が延々と背負ってゆくことになる問題になりそうだ。
最終的に地球は廃棄物処理場になってしまって、人類は別の惑星に引っ越してしまうのだろうか?

『100,000年後の安全』を観てまず思ったことは、これが今世紀に起こる様々な問題の“基本的課題”になるという事だった。エネルギー利権の争奪戦は相変わらず続くだろうけれど、その副産物として核廃棄物の処理問題は脅威となって世界中に蔓延するに違いない。

20世紀には人々の中に「ユートピア論」なるものが存在して、未来に対して何らかの希望と可能性を論じる姿勢があったように思う。
しかしどうだろう、最近あまり「ユートピア」というコンセプトを耳にしない。もはや“死語”かと思えるほど、みんなの頭の中に無いように思える。次なるビジョンは一体何なのだろうか?

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【100,000年後の安全/trailer】


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新・Uターン現象 [21世紀の種]

40年近く前に、ヨーロッパ放浪中に出会った雑誌記者との語らいの中から生まれた言葉は“都の夢に挫折した若者が身の丈の価値を求めて故郷に戻る”心象を「原点回帰」という言葉に置き換えて、それがその後の『Uターン現象』という流行語を生み出すキッカケとなった。そして今、私は再びその言葉を口にする事になる。それは当時のような意味ではなく、どこまでも間違い続けるボタンの掛け違いをストップさせて、私たちが希望を持って生まれ出でた時代の感覚に戻す「リセット」…その意味である。

歴史は常に揺り動かしの流れで移り変わっているものだ。権力の構図もパワーシフトといった感じで移り変わるけれど、芸術や文化の領域でも「ルネッサンス」のような文芸復興という名目で古典・復古に戻る時代もある。近年流行のレトロ・ブームもその類いで、人々の心も遡(さかのぼ)ろうとしている。

どこまでも永久に一方向に進む、という事はあり得ないと考えるのがこの世界の常識だろう。無限というものを感知できないのがこの世の中なのだから、永久に栄え続けるという事もあり得ない。
それに人間というものは、退屈しやすく疑いやすく天の邪鬼なものだから、一方的な方向には進み続けて行かないものらしい。幸福になりたいと言うくせに、幸福には埋もれたくない等と野暮な事を言う場合だってある。

ここまで「Uターン現象」というテーマで展開してきたが、よくよく考えてみれば、もうその発想はこれからの時代にはそぐわないのかも知れない。…と思うようになってきた。
これまでは三次元的発想で“現在・過去・未来”を眺めていたが、21世紀後半にはきっと四次元または多次元的発想ですべてが語られるようになるだろうと思う。「Uターン」という発想も直線的に過去に回帰するというものではなく、大きな螺旋の渦のようなもので“元へ戻るフリをして実は全然違ったステージに移動している”そんな発想と運動(ムーブメント)を発見することになる。

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これまでの歴史を築いてきた先輩たちには敬意を表するけれど、その発想だけで今後の課題は解決出来ないことは明白である。過去の発想の延長をどこまで続けても、残念ながらこれまで体験した事のない事柄には対処できないものだ。
原理原則に立ち返って、ボタンの掛け違いを訂正して新しく再スタートする。そして発想は「線ではなく面である事」
“過去よりも現在、現在よりも未来が進歩している”などという直線的な時間感覚を脱却して、“現在も過去も未来も、同時に混在している”というグローバル感覚を身に付ければ…多くの間違いを訂正できるチャンスがある。

【伝説 Legend 】


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退化ではなく… [21世紀の種]

 40年近く前に、ヨーロッパ放浪中に出会った雑誌記者との語らいの中で“都の夢に挫折した若者が身の丈の価値を求めて故郷に戻る”心象を表した「原点回帰」という言葉が出て、それがその後に『Uターン現象』という流行語を生み出すキッカケとなった。(更にそれは旧・国鉄のキャンペーン『ディスカバー・ジャパン』のコンセプトに発展してゆく)
 そして今、私は再びその言葉を口にする事になる。それは当時のような「胎内に帰る~帰郷~休息」の意味ではなく、高々と積み上げたバベルの塔を崩して、どこまでも間違い続けるボタンの掛け違いをストップさせて、私たちが希望を持って生まれ出でた時代の感覚に戻すこと…その意味である。

drift.jpg
<砂の流れ>

 私たちはこれからももっと科学を進歩させてゆくことだろう。ガンも克服し、寿命もさらに延びて、人間は月にさえ暮らす事になるだろう。…しかし。
 それはすべての人たちに与えられる機会ではない。高度に前進すればするほど、そこには大きな格差が生まれる。その格差とは平等な機会均等から生まれた競争ではなく、あらかじめ申し合わされた選別によって生まれる格差なのだ。残念ながら今の人間社会は、それ程お人好しには出来ていない。

あなたはそれでも、もっと世界の進歩を望みますか?もっともっと遠くへ行きたいですか?
ときどき「世界中の戦争がなくなって平和で幸福になる事」を“進歩”であると表現する人がいるけれど、それは本当だろうか?進歩というのは開発したり進化したりして、どんどん新しくなってゆく事象のことだが、平和や幸福の概念はそんな科学的創造物とは違う。


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種は芽となり花となる。 [21世紀の種]

21century_01.jpg
<21世紀の種-TN110108>

種は眼となり鼻となる…否、芽となり花となる。

種は魂の凝縮。そしてそれは時を超え場所を越えて復活の息吹を上げる。

種に宿った魂は生命の穀物となって昇華する。

今、世界は苦しみの渦の中に突入しようとしている。
政治がどうだとか経済がどうだとか言う問題ではなく
人間の宿命的な災難として避ける訳にはいかないものだろう。

しかし、恐れていてはいけない。
恐怖でみずからを放棄してしまってはいけない。
これは“産みの苦しみ”でもあるからだ。

この痛みと苦しみの代償として
奇跡の世界は出現する事になるだろう。

monument.jpg

【Say you Say me】


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糸川英夫博士にエールを贈る [21世紀の種]

’60年代の超ベストセラー「逆転の発想」は、今で言う“流行語大賞”になって一世を風靡した。日本人に“発想の転換”というコンセプトを与えたのが、この本の著者・糸川英夫博士であった。これをキッカケに、日本の一般大衆は“水平思考”とか“マルチ思考”とか様々な発想技法に興味を示してゆく。

私がこの三部作の本を読んだのは’80年代に入ってからであったが、そこで初めて糸川博士が太平洋戦争での戦闘機『隼』の設計者であり、日本のロケット開発のリーダーであり、かつヴァイオリン研究者でもあった事を知り、私の数少ない尊敬する人物の中の一人となった。

gyakuten3.jpg

この糸川博士は今日の私たちに様々な素晴らしい提案をしてくれていたが、その最後の著作となったものが『21世紀への遺言』であった。(正確には最後という訳ではないが、メッセージ内容としての意味合いで)
「逆転の発想」から40年…その本の中で糸川博士は私たちに、組織工学で言うところの「デセンター発想」を提言してくれていた。社会の構造を破壊するのではなく、新しくバイパスを構築する、これまで中心にあったものを移動させるという発想。

21yuigon.jpg

理数系物理工学の博士の発想であり、単に時代の気分や雰囲気で語っている解説ではないからこそ拝聴に値する。私が糸川博士を尊敬するひとつの要因は“アーチストの資質”を持っている人物であったからなのだ。工学博士でも医学者でも軍人であっても、画家や音楽家と共有する“芸術性”は発見される事がある…と私は思っている。
そういった観点からも、21世紀的観点からも、私は改めて糸川英夫博士にエールを贈りたい。そして小惑星イトカワの存在は21世紀の世界に大きな貢献をするかも知れないと感じている。

 


21世紀型勝者の競争理論 [21世紀の種]

fujidana.jpg

新しい競争理論に沿った21世紀型ゲームを生み出して欲しいですね。
ゲーム的思考には時として、哲学をシミュレーションするような深い意味と価値があるような気がします。

例えば私の考えるゲームの競争理論は「アベレージ主義」というコンセプト
これは、最高でも最低でもなくその中間点(平均点)こそが勝利者という考え方です。
スピード競争に置き換えるなら、レースの平均タイムに一番近い者が勝者となる。早すぎても駄目、遅くても駄目。意識せずに普通に走って、最終的に全てのラップタイムが出揃ってから算出されて初めて勝者が誰だったのかが分かる…という具合。スリルというものは全く無いようですけど(笑)

世界にとって本当に必要な事は何なのか?
…という事を考えるヒントになるような競技だと思うのですが
はっきり言って、ウケませんね確実に(苦笑)
ヒトはやはり「ワクワク・ドキドキ」が好きなんでしょうか?


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ネオ資本主義VSポスト資本主義 [21世紀の種]

私はこの21世紀中に経済というものの基準が大きく変わるだろうと思っているが、その手始めとして資本主義の発想転換が行われると思う。
長い歴史の間で資本主義的発想…つまり、“主人と奴隷”または“搾取の発想”でしか経済を考えて来れなかった人類が「何かおかしい」と気づいて新しい実験と冒険の旅に飛び出すことだろう。

経済に対する理念・概念が世界に悲惨な状況を生み出している、と私は考える。マネーを基準にして豊かさの争奪戦をする発想が変わらない限り、世界は幻想の中にどっぷりと浸かったままだろう。
私は、歴史的・古典的な資本主義に新しい世界観・価値観を注入した「ネオ資本主義」の登場を推測していたが、本来はそんな程度ではなく、資本主義の匂いを完膚無きまでに払拭した「ポスト資本主義」の発想が必要なのかも知れない。

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もしも、アフリカの部落の子供たちが描いた野生の動物やお面のドローイングが
デザイン・キャラクターとして世界中に商品化されて流通されたら面白い事になるだろうなあ。
ロゴマークに使われたりブランドとして商品化されれば巨額のライセンス料がアフリカの子供たちに集まる。

こんな事を想像すると楽しくなってしまう…そう思いませんか?

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 


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マイノリティについての考察 [21世紀の種]

人権に関わる仕事に就くようになって、改めて自分に課せられたテーマが再発見できた。それは「マイノリティという存在の価値」である。
考えてみれば、幼い頃から私が自主的に、または運命的に直面してきたものは、マイノリティそのものであった事に気付いたのである。

◆力の有無や強弱で結果が変わる事においては認められる(弱者救済の思想は、また別課題として考慮される)しかし、数の理論(多い少ない)によって有利不利の差別を受ける事は是認されるものではない。

     勝負に敗れた者にも生存の権利を与えること。これが基本的ルールであろう。それはリベンジの機会を与えることになるかも知れない。しかし、それを恐れて根絶やしを画策し完膚なきまでに抹殺するのが前近代的な考え方だった。

     表の歴史は勝者によって作られる。ならばマイノリティの生き様はどのように伝えられるというのか?

     民主主義(デモクラシー)の原則は「多数決の理論」のように言われているけれど、それは大きな間違いである。本来の民主主義とはマイノリティを受け入れる事である。

☆☆☆☆☆

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こどもの頃には空の向こうに遥か大きなものの存在を感じたものでしたね~

__________________


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ネオ資本主義 [21世紀の種]

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資本主義に取って代わる経済システムはなかなか考え出されないだろうけれど、これまでの既成概念としての資本主義はすでに疲弊感を露呈し始めている。
20世紀型の社会主義や全体主義は、人間の生み出す組織や権力の危うさを考えると適切ではなさそうだ。いかがわしさを含みながらも“自由競争・機会均等”の資本主義が結局は人間社会に最も適応しやすいシステムかもしれない。しかしこのままではいけない事は明白で、その資本主義に対して何らかの訂正と改良が必要だろうと思う。
人権を侵害し、差別を生み出す構造。子供たちの成長する権利を奪い、現在を搾取する構造。そして過去の植民地時代からの構造を維持し続けるが故の貧困・格差による南北問題…などなど。

もし私たち人類が優秀だと自負するのであれば
新しい資本主義の構造を創り直せる筈である
21世紀中にネオ資本主義は誕生する筈である

 

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