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洗礼~通過儀式 [制作日記]

『人』というものは洗礼を受けなければ強く生きられない生きものなのかも知れない。

痛みを伴わなければ本当の快感が得られない様に、不幸を知らねば幸福を知ることが出来ない様に。

全身全力で絵を描く事に没頭するという状態からしばらく遠ざかっている。そういう時は成り行きに任せて放っておくのが良く、モチベーションというものはけしかけて湧き出るものではなさそうだ。人の運命と同じ様に必然と偶然が混ぜ合わさって形づくられる、時を待てる者にしか得られない成功のカギのようなものだろう。

博徒勝負.jpg

欧米で洗礼と言えばクリスチャンのバプテスマの意味に直結するのだろうけれど、ここでは『艱難汝を玉にする』の“艱難”と捉えて考えたい。艱難がオーバーなら、自分の最も避けたいもの、忌み嫌うものといった意味に置き換える。
敢えて自分から進んで向かってゆく艱難なら覚悟もあるし厭わないだろうけれど、避けたくても避けられない意のままにならない宿命的な苦難は一体何のために受け入れなければならないのか?もみ消すことも無かったことにも出来ない“悲観の業”をどうやって背負ってゆけば良いのか?

この問いを考え、答えを探し求める中に解法のカギが埋まっている。

還暦号_02.jpg

悲しみも苦しみも通過儀式なのだと思う。
避けようとしたり無視しようとしたりは出来るかもしれないが、決して自分から離れ去る事は無い。通過して遠くから眺められるようになるまで背負い続ける、多くの人がそうやって経て来た生きることの重みなのだろう。

時を待つ 時に願う 時を信じる。

 


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変わらぬ風景~原風景を求めて [制作日記]

私が風景を描く時は、きまって落書きのような気分でスケッチブックを弄(もてあそ)ぶ時だ。

童心に帰って憧れの風景と向き合っている時間、それが魂の開放された時間の様に思える。
だから私の風景画はまったく個人的な感情移入と意味付けがされていて作品と言うものではないと思っている。

近頃では自分にとっての風景画が“原風景を探索する手段”のような気がしてきた。
幼い頃の風景の中にはノスタルジーに浸れる部分もあるけれど、それ以上に人生の謎を解く鍵が埋まっているようにも思える。

choko-kan_01.jpg 

二十代の頃に描いたスケッチを見つけたので、その場所に行ってみた。
周囲の風景はすっかり様変わりしていたが、スケッチした周辺だけは時間が止まっているかのように変わらぬ空気が流れていた。

徴古館の裏.jpg 

過去のスケッチを通して何となく若き日の絵描きの魂にタイムスリップした。

そこは心落ち着く空間だった。
そこには紛れもなく未来に希望を求める生命感あふれた若者がいた事を知った。
そして時が過ぎた今、そこに私が発見したものは再生という希望の姿だった。

少し辺りを散策してみたら、腰掛けるには丁度いい切り株を見つけた。
何だか昔に見たことのあるような懐かしさを醸し出している。
あの頃もこんな風にぼんやりと座って未来へのイメージを膨らましていたのかな…。

切り株風景.jpg 

ふとしたことから原風景を求めて、そして辿り着いた処は憩いの空間だった。
心機一転、再生をイメージさせる憩いのひと時はタイムスリップのその先にあった。

家に戻ってからさっそくスケッチブックを取り出して頭に浮かんだ切り株を素描してみた。
今日のこの一枚が新しいテーマと創作意欲を生み出す再生の一枚のような気がした。

切り株描画A02.jpg

 


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シンクロニシティ‐2/synchronicity [制作日記]

シンクロニシティ」は人間が宇宙の万物の一部である事を自覚し融合したときに起こる、人間の五感を超えた(つまり第六感的な)感受性であり超認識である。

十数年前に買って仕舞い込んであった本をたまたま引っ張り出して読んでみたら、それは今の私にぴったりの内容の本だった。これこそまさに「シンクロニシティ」という現象なのだろう。

shynchro-book.jpg

人は求めなければ得られる事はない。気持ちが向かっていなければ、どんな現象も気づかずに過ぎ去ってしまう。

偶然と片付けてしまう出来事の中に、明日の必然が隠されている。

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cats&draw.jpg

<2012年7月14日・記> 

 

※それからの私考追伸


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シンクロニシティ/synchronicity [制作日記]

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シンクロニシティ」という言葉は心理学者のユングによって生み出された言葉といわれている。偶然といわれる現象によって、一見何の価値も無い出来事や人間が結びついて或る者にとってはそれがインスピレーションや霊感に近い悟り・気づきといった感覚になる。

「シンクロニシティ」は物質世界と精神世界を結びつける架け橋のようなものとも例えられる。科学的に理論的に証明されない現象を“単なる偶然”というふうに片付けるのが社会というものだが、その現象は大地と天界を瞬間時につなぐ雷に似たような現象かも知れない。個体としての存在と森羅万象のメカニズムが一本の糸でつながった時に起こる、偶然と呼ばれる現象。

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下塗りをしながらポイントとなる色で部分的にまとめてゆく。
大体の感じがつかめたら、上からモノトーンで覆ってゆく。
ポイントに選んだ色彩は、隠し味のような感じでにじみ出させる。

base_b.jpg

様々な偶然が一枚の絵を仕上げてゆく。溶け合った絵の具や重なり合った色彩が、物事を包み隠したりまた滲み出させたり。選んだモチーフも表現も偶然のようでいて、それは単なる偶然ではない。

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「シンクロニシティ」を理解することと“現象を把握してコントロールすること”とは違う。理解をしたからといって、物事を自分本位に操作できるものではない。“自分の自由にはならない”ということを悟ることが“理解というものの一面”なのだから。

「シンクロニシティ」に触れるということは、私たちが“単なる偶然”として意に介さず思考停止して捨て去ってしまう現象の中に、実は気づきのヒントが隠されているということを理解するためのものなのだ。

“偶然の出会い”とは“一期一会”の始まりである。

<2012年7月1日・記>

 

※それからの私考追伸


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木洩れ日の旅人 [制作日記]

木漏れ日と旅人.jpg
[木洩れ日の旅人(習作)]

美しい風景は人に勇気や希望を与えてくれる。不安におののき恐れに震えていても、美しい風景に出会ったとき人はこの世界が共に生きていることに感謝する。
そんな風景に出会いたくて、人はさすらい続けるのかも知れない。

もう30年以上も前のスケッチだが、こんなイメージを描いていた。この頃はかなり落ちこぼれた貧困生活をしながらも、印象派の画家たちの魂に触れながら青春を謳歌していたように覚えている。
そんな私の心象風景は「陽だまり」や「木洩れ日」といった形で表わされていたようだ。

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[木洩れ日の道/1978]

<2012年8月7日・記>

 

※それからの私考追伸


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環・円・球・螺旋への取り組み [制作日記]

らせん人生.jpg


還暦を経てからの私は、やたらと環状や円形にイメージを投影することが多くなった様な気がする。
そして以前から思考の基となっていた「らせん状」の生命体の流れがますます確信的になってきた。

これからも私の制作物のコンセプトには「環・円・球・螺旋」が隠し味のように存在してくることだろう。
何故ならそれが私自身を癒し、納得させ、安心させる世界観だからだ。

 

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描くという行為 [制作日記]

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般若心経は“言葉に出来ない悟りの世界を言葉で表わしている”らしい。だから普通に言葉で理解しようとしても困難なものなのだろう。

ある種の絵画も同じである。
目に見えない世界を絵に表わそうとしているのだから、それを美の観点やリアリティの視点からでは捉えにくいものである筈だ。ましてや社会的評価は別世界のもので、評価を求めるのならその様な絵を描いていてはいけない。

およそ全ての行為は留まることのないものと心得ている。
絵を描くという行為もまた然り。
これで完成というものは無い。便宜上、一旦筆を置くだけで慢心することなど無いだろう。

どこまでも描き直しを続ける…これが絵を描く道というものだろう。
人生に完成がない様に、絵を描くという行為にも終わりはない。

離島から眺める.jpg

何度も手直しをしては視点を変えて同じテーマを描こうとする。
そんな不器用な生き方も、あったっていいじゃないか。
それが正道だなんて大見栄切って言うつもりはない。
どこかに置き忘れて来た生き方を…
誰もが忘れ去った生き方を…
まだ繰り返している奴がいたっていいんじゃないか?

 


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時の流れに漂う [制作日記]

一枚:湾.jpg 

ふと思い立ち過去に描いた絵に筆を加えた。
ここ数年前から、そういった描き方を自分のものとしている。
「時間差コラボ」なんて命名したりして…(笑)

『永遠の風塵』…これは私が取り組んでいる絵のテーマのひとつなのだが
時間という概念は本当に不思議なものだとつくづく感じる。
そして永久に完成することなどないのに、どうして人間は完成させようと四苦八苦するのだろうか、と思ってしまう。
若い頃に“シューベルトの未完成交響曲ってすごいなぁ”と思ったことがあったが、その頃から私は少しも進歩していないようにも思える。

自転車で帰宅する坂道.jpg

海に沈む夕日を背に自転車を走らせている。
何処に向かっているのだろう?
仕事を終えて家路を急いでいるのだろうか。
それとも広い海を眺めたくて
あてもなくペダルを踏んでいるのだろうか?

雑誌コラムの挿し絵として「怒り」をテーマにしたイラストを描いていて、ある事に気づいた。
「人間の愚かさに対する心底の怒りは、悲しみにも通じて慈悲となり救いの道を啓示する」

最近の日本人は本当の怒りを忘れてしまっている。
やたらと社会に迎合するか、長いものに巻かれて生きる道を選んで、処世術ばかりが横行している。
だから社会はどんどん極分化していって、口先だけの繋がりが差別化を生んでいる。
私はこれを「偽善の似非社会」と形容している。

絵本としては取り上げにくいテーマなのだが、風刺画やイラストとしては興味深い。
鬼、閻魔、阿修羅といった概念を絵に描くことには深い意義があるように思える。
世の中には「怒りの教育」も必要かも知れない。

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 ▲月刊「ナイトスクープ」3月号※転載を禁ず

 

 


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一年の計 [制作日記]

2016年・平成28年
新年のスタートです。

今年はブログとフェイスブックとWordPressサイトをそれぞれ立体的に絡めながら“表現者”として使ってゆこうと考えています。
これからの21世紀の日本に生きる私たちは、多種多様なメディアツールと自身の生き様をリンクさせるような使い方が必要になって来るように思います。 

昨年から「ZINE」というムーブメントが脚光を浴びるようになってきました。数年前から胎動の気配はあったのですが、今年はいよいよブレイクするのでしょうか?
SNSがそろそろ曲がり角に来ている感じで、ベクトルはアナログ的でハンドメイドなメディアに向かうような兆しを示しています。SNSがマスとなってしまった以上、本来の安心感や信頼性は非合理的で少しばかり非合法なマイナーメディアに発揮されるのではないでしょうか?

還暦~虹の扉.jpg 

今年はひとつ、自分の求める世界をより具体化してゆこうと考えています。
自分のスタンスをより明確にしてキャラクターを際立てて行くことで、自身が自分の作品世界の住人として生きている旨をリアルに伝えられる事。

言葉を変えれば「本気の作品」をつくること。今年はそんな一年にしたいです。

意識をせずに無心で筆を走らせていたという事がある。
知らない内に落書きのようなアイデアスケッチを描き上げていた…
そんな刹那を大切にしたい。

スケッチ01.jpg
 ▲今年正月のメモ第一弾。今年は具体的な行動の一年だと思っている。

 


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次元の扉 [制作日記]

私の人生はゆで卵の中で息づいている。

それをサーカスのようなものだと言う人もいる。 

本当のところは誰も知らない。

それでいいのだ…そんなものだ。 

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次元の扉は螺旋階段の踊り場に 蛇腹の様子で開いている。

或る日唐突に現われて 進んでみれば時空のラウンジに辿り着く。

特別なことは何も起こらない。

それでいいのだ…そんなものだ。

知恵は次元の扉を、恐る恐る且つ慎重に開いてゆくものだ。

慌ててはいけない。性急なものは大体が間違っている。

駒廻しの曲芸も明日になれば達磨落とし。

歴史輪廻の変わり目は次元の扉の九十九折。

それでいいのだ…そんなものだ。

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良い年が訪れますように…   <平成27年・歳末>

 


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無人駅 [制作日記]

ひっそりと、しかし確かにそこに存在する
名も知られないような無人駅

日々どれだけの人がホームに立つのだろう
いつもベンチは綺麗にされて、夕闇せまれば蛍光灯がともる

無人駅_D.jpg 

隣り町まで買い物に、時代に残された年寄りたちと
朝夕の通学列車に、青春を刻む学生たちが
今日も頼りにしているのだろう

無人駅_E.jpg 

時には淋しげに
時には誇らしげにも見える無人駅だが
本当のところはどうなのだろう?

学生たちや生活者を運んで役目を果たしているその姿は
寡黙な老人の営みの様にも見えてしまう

無人駅_A.jpg 

ひと気も少ない佇まいだけれど暖かい鼓動が聞こえるようだ

この駅に立てば教えてくれる
独りは決して淋しいものではないという事
為すべきことを為すことが
全うするという意味である事を

そうしていつか旅立ちの時がくるのだと…

無人駅_B.jpg 

こんにちは…そしてさようなら
泣いたり笑ったり、色んな顔がこの駅に来るけれど

いつでも無人駅の表情は変わらない
悲しみも喜びも知っているから
無人駅の表情は変わらない

無人駅_C.jpg 

無人駅を描くためにスケッチブックを持って外に出た

駅のホームに立ってみたりベンチに腰掛けてみたり
不思議な落ち着きの空間を駅と共有しながら時間が過ぎていった

無人駅スケッチ.jpg

unmanned_station-B.jpg 

 

<平成27年2月・記> 

 


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ガンバロー号から還暦号へ [制作日記]

夢中になって作品に取り組めた20代の頃の私。
若さとは素晴らしいですね。愚かさも含めて無心になれていた気がします。

その頃に誕生した「ガンバロー号」はご用済みになって、長い間倉庫に眠っていました。

GANBARO.jpg 

垢と埃にまみれながら、欲望と打算の世界をくぐり抜けて来て
気がついてみれば五回も周回を重ねた還暦になっていました。

昔の勢いも無いくせに、純粋ささえも失って
鈍い輪郭の人生を抱えて、これから何処に向かおうか…。

そんな時に古びた倉庫で再会したのが、寂れ掛けたあの「ガンンバロー号」の姿でした。

還暦号_A2.jpg 

錆びついた機体にもまだ少しは輝きが残っています。
早速に手入れをして操縦席に磨きを掛けるとウキウキした気分が蘇ってきます。

何だか、あの頃の憧れをもう一度確かめる旅に出られそうな気がしてきました。
もう今度は多少は利口になって、つまらない間違いは起こさなそうだ。

還暦号_B2.jpg 

ガンバロー号から還暦号へ乗り物は変わっても
憧れにときめく冒険心は変わりません。

たくさんの過ちと挫折を繰り返してきた人生を越えて
もう一度純粋に生きてみる決意…
それが還暦号の設計コンセプトなんですね。 

そうやって考えると、まだまだ他にも設計デザインのアイデアが浮かんできます。

もうこの歳になったら、出発はあせらないで
じっくりとお供にふさわしい乗り物を選ぶことにしましょうか。

還暦号ideaスケッチ.jpg
   ↑ [還暦号のアイデア・スケッチ]

 


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バランスの話 [制作日記]

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【すべての存在はバランスによって保たれている】

体を流れる血液も体を組織する細胞も、赤血球や白血球そして塩分や糖分…一人ひとりが違った体質でバランスを取りながら生きている。
太陽とその周りを回る惑星も、ブラックホールもホワイトホールも…それぞれがバランスを保って存在している。

重心はバランスを取るために常に移動し続ける。
移動して変化し続ける理由は安定を保つためであり、固定された安定は停止であり全ての終わりである。

生き続ける限り、人は変化し続けて…その中にバランスを発見する。

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バランスの基とは、…?そう言う人も居るようですが…。
バランスは意識の外にあるものみたいですね。あまり意識しすぎると、ますますハズレてしまうような…
子どもの頃、自転車の練習でありましたね。溝に落ちてはイケナイ・イケナイと思うとますます溝に向かって行っちゃうみたいな…)

私のバランスは“絵を描くために思考し、絵本によって表現すること”で調整しているみたいです。

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☆2011年9月21日/記 

 

 


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憧れを抱いて作品を創る [制作日記]

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私が影響を受けた画家やイラストレーター芸術家というのは大勢いるけれど、多感な十代から二十代にかけて受けた影響というものは、やはりベーシックな存在として生き続けているものだと思います。
私のデザイン的な面、イラスト的な指向は、二十代に出会ったミルトン・グレイザーの影響が大きいです。多分個人的な嗜好がピッタリと合ったのでしょうね。“師との出会い”というのは、案外そういった“好みの傾向”でマッチングが決まるものです。

27歳の頃に描いた絵本のイラストが見つかったので眺めていて、改めてその頃の発想やモチベーションの自由さ&素直さに、現在の自分のいくつかの部分を反省させられました。
そして、「人ってやつは、全面的に向上してるとは言えないものだなあ…」「何かを得れば、何かを失うことが多いものだ。やれやれ…。」などとため息をついてしまう今日この頃でもありました。
(ま、そんな事は当然分かってる事なんですけどね…)

☆2011年7月9日/記 

【ヘビメタ教祖】


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新・錯視の世界 [制作日記]

錯視の世界に足を踏み入れると、自身をも含めた様々な物事の位置関係を再確認して驚かされる。
私たちは、生まれてから自我を形成するよりも前に社会の枠組みの中に放り出されて、否応なく既製品の衣服を着せられたかのような人生を送っている。
ほとんどの価値観は自身が探り当てたものではなく、何者かの都合で社会が形成した「あるべき価値」として呪縛されたものだ。

こういった社会の既成概念に対するアンチテーゼを、かつて昭和の若者たちは様々な形で投げかけて来た。そして僅かながらもそのいくつかはささやかな意識の変革を芽生えさせたかのようにも見えた。
…しかし、それは儚い錯覚だったのだろうか?変革の意識は受け継がれることなく元の木阿弥となって、過去の社会問題はなんら解決されないまま平成の若者たちに手渡され保守されている。

錯視の世界とは視座の変換なのである。
主であった自己が従になり、従として眺めていた風景が主の座から見えるようになる…そんなパラダイムの変換なのである。
新しいものに気づくという事は、視点が変わる事に他ならない。現存世界が変わるわけではないからだ。

視点を変えるだけの事だと言ってしまえばこんな簡単な事はない。 
世界を変えたい、生き方を変えたい、そんな願望はよく耳にするけれど、本当のところ変化などというものは拍子抜けしてしまうほど実にあっけないもので、殆どの人たちは変化することを恐れたり拒んだりしているのが正直なところだと思う。

視点を変え次元を越えてみる発想と勇気が、21世紀を生きる人たちには更に求められるような気がしています。

tricart_[壁どん].jpg 

 

紙を広げて上から見たところ…今回はあまり3D効果は発揮できなかったようです。

壁どん展開図.jpg

【視点移動の展開】


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