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なぜ今JFK? [随想随筆]

先週、トランプ大統領がJ.F.ケネディ暗殺事件調査の極秘資料を開示すると発表していて私は驚いた。関連書類の公開は当初から2039年まで封印すると公聴会(ウォレン委員会)で決定され約束されていた筈だからだ。
どうして今この時期に封印されてきた資料を公開する
必要があるのだろうか?そういった点で興味がある。が、しかし実際には国家秘密保持のため膨大な資料の内の一部は公開できないとして封印されたままであるらしいので、それでは真相の追求というよりも政治的パフォーマンスではないかという気がしてしまう。

ケネディ暗殺事件に興味を持ったのは映画『JFK』の公開されるより数年前、落合信彦の『二〇三九年の真実』を読んだ時からだった。この本は初版が1979年となっているが、著者の落合信彦は'61年にフルブライト留学で渡米してから11年間の滞米期間中にこの疑惑を調査していたというからかなり早い時期から着眼していた事になる。そしてまとめ上げた記事を文春に掲載したのは'77年の事で、映画『JFK』は公開されておらず(公開:1991年)日本ではケネディ暗殺事件は風化していてまだ現在ほど注目もされていなかった。私も'73年に『ダラスの熱い日』という映画を観て、その頃はオズワルド単独犯説には疑問を感じたりもしたがすぐに忘れてしまっていたというのが正直なところで本を読むまで謎につつまれた真相には関心が薄かった。

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ただし私はケネディ暗殺の裏側にはもうひとつ別の深層があると思っている。これは暗殺の真相以上にもっとタブーな領域の話の様に思える。
ヒントとしてはケネディ一家がアイルランド出身であり、ジョン・F・ケネディが政界に進出するにあたっては一族の長ジョセフ・P・ケネディが財力と政治力を強引に発揮したという因縁が布石になっていると思う。ケネディ大統領の政策はアポロ計画や公民権採択など若くしてフロンティア精神あふれる清廉なイメージが強いが反面で米ソ冷戦の延長としてベトナム戦争介入もあり、その権力の成り立ちには表面からはうかがい知れぬものがある筈なのである。

 

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私流カミングアウト(3)~原風景を辿る [随想随筆]

人の心というものは数値で推し測ったりセオリーで解析したり出来るような単純なものではない。何層にも重なった時間と環境を織り交ぜてひとつの人格を形成してゆく。根源的な魂の次元から深層心理としての精神性があり、表層的には社会教育や成長環境によって作られる人格性格が何層にも亘って築かれる。人間が多面的であることの所以だ。

自分自身を語るとき、殆どの場合は自己防衛が働くもので決してすべてが真実であるとは言えないことが多い。少なくとも主観的な観察であるからには公正な判断とは言えないからである。


幼い頃の原風景をあぶり出してみる事が自分を振り返り考えてみるひとつの方法だろう。年月が過ぎた今でも記憶というよりも心のどこかに染みついて、時にはトラウマの様に時には慕情となって目の前に表われるカットバックの一場面。それは不思議な感覚で私であって私でない別次元にトリップさせてくれる。私が原風景というものに惹かれる理由はそんな処にある。

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「裸電球の炊事場」「枕元で眺める絵本」「真冬の朝の停車場」諸々の状況の欠片にはそれぞれに物語がある。人生は個人的に秘めた創造の物語なのかも知れない。怒り悲しみ憎しみがあるから輝いて見えるものもある事に気がついた。

冬の停車場.jpg

いずれまた何処かで何らかの形で私の原風景という玩具箱をひっくり返してみる事があるだろうと思う。人生の棚卸しの時に納屋にしまってある原風景の一つ一つを噛みしめて改めて検証しながら振り返る事だろう。

 

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微睡の所感 [随想随筆]

日々、目覚めてはこの世の現実を過ごし 幻夢に誘われて安らぎに入る。
穏やかな時間を至福と思え。
悩み彷徨うことが人生ならば 時には解脱して外れで休む。


人の世は「肉の世界」であるから、そこには快楽もあれば苦痛も併存するのは当たり前の事である。楽あれば苦あり。良薬は口に苦し。快楽の一面だけに目を向けて語るのは人の世を理解していない表われである。
世間という人の作った社会を「肉の世界」とすればそれで把握できないものは「魂の世界」で捉えるのが良いだろう。


生きものとしての命を感じ取ること、それが全ての始まりかも知れない。

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  ▲シリーズ「切り株」のラフスケッチ

醒めて考える事も必要かもしれないが、時には微睡(まどろみ)の中で思い巡らす事も良いのかも知れない。
覚醒ばかりが賢明とは限らないだろう。


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私流カミングアウト(2)~母親との思い出 [随想随筆]

作品を作る・表現に表わすという事は、ある意味でカミングアウトとしての側面があるかも知れない。
還暦を過ぎてからの私は、それまでのナルシスティックな観点を捨てて自分の原点を求めて原風景に立ち返るといったスタンスを持つようになったように思える。

自分自身を語るときどうしても親との関係性やエピソードに触れることになる。
私の人間形成には父親が大きく影響していると考えていた。性格面も多くの部分が似ているようだったし、文化的思想的な部分でも沢山の影響を受けてきたように考えていた。


その父親と比べて母との関係は希薄だったように思えた。否、そう思い込んでいた。
しかし歳を経て改めて思い返してみると、母から受け継いだ部分も少なからずあった事に気づく。それを受け入れずに来たのはどこかに母に対する罪の意識、申し訳なさが働いていたのかも知れない。
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「三つ子の魂百までも」という言葉があるが、両親に捨てられ叔母の家に預け育てられた母は生涯生みの親を恨み続けながら人生を全うした。
不憫な身の上を思いやられて大切には育てられていただろうが躾けは厳しいものだったらしい。
叔母をはじめ親戚縁者の間では彼女の父親を“家を捨てた生活破綻者”と言って人格否定が通っていたので、母もその様な父親像を背負う事になった。
彼女自身からの話しなので事の真偽は確かではないが、とにかく母はそんな自分の不幸な生い立ちを事あるごとに私に聞かせた。今にして思えば天涯孤独だった彼女の心の拠り所が私だったのかも知れないが、私にとっては母方の祖父・祖母と言える両者を情けない破綻者として教え込む母親に対して批判的で、多感な青年期にはよく衝突をして母をやり込めたものだった。

考えてみれば母にも青春時代があった訳で、将来を夢見ながら乙女心をときめかせた時代もあった筈なのだ。幼い頃、タンスの奥底に仕舞ってあった古い写真を見たことがある。母が楽し気に当時の話をしながら見せられた覚えがある。桜の木の下でぎこちないポーズを取って写真に納まっている姿は、私の見た事のない母親になる前の娘時代の微笑ましい姿だった。
戦争があったり教育水準が低下していたり時代の様相が異なっていることで、今の自分たちの観点から過去の人々の生き方を単純に批判する事は公平とは言えないのが事実だ。そんな事に気づくのも晩年になってからの事であり、私は母親の思いを何も分からず過ぎてしまった時間を悔やんだこともあった。
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私は若い頃には母に対して間違った正義感を振りかざして厳しく咎めることが多かった。どこかで母の愚かしさを許せない気持ちがあったのだろう。母親を愚かしく見下すということ自体が大きな間違いなのだが若さの浅はかさとはこういったもので、そうとは分かっていても長年の甘えは変わらず母をいたわる気持ちが芽生えたのは晩年になってからだった。

父の写真を見て胸が熱くなることはないが、母の写真を見ると時々じんと来てしまう事がある。それは母の背負っていた苦しみを理解してやれなかった、わかっていても労う事すら出来なかった自分への歯がゆさから来るものだろうか。
残された写真を見ると、父親とは別の母親とでしか共有できない時間のあった事を発見する。その共有の時間こそが母にとっても至福の時間であったことがようやく理解出来て、当時の母の思いが痛切に甦ってくる。


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この一枚の写真は家の近くで撮った母とのスナップである。別段何の変哲もない写真なのだが、私はこの写真が好きである。何故ならここには、“母の思い”そして“私との関係性”が率直に表われている気がするからである。
結婚生活に夢破れて一時は私を連れて家を飛び出した事もある彼女だったが、夫の母親に押し留まるよう哀願されて泣く泣く戻ってきたという経緯もあって、その後は唯一血の繋がりのある子供の私への愛情を支えに幸薄い生活が続いた。
母は喜びの表現が大変下手な人であった。幸せを感じたとしてもどこかぎこちなく嘘っぽい感じさえ与えてしまう、そんな気の毒な人であったから私がこの写真から感じ取れる母の思いは痛々しくさえある。カメラを見つめる母の眼差しがレンズに向かって少し硬くなっていて柔和な感じがしないのもそんな母の他人行儀的な振る舞いがさせているのだと思う。父はこの様なスナップ写真を撮る人ではなかったから多分歳の離れた姉が撮ったものであろう。後妻として籍に入った母にしてみれば先妻の娘であり、私にとっては異母姉弟の次女に撮られている母子のワンショットには様々な思いが含まれているだろう。そしてその母を慕うように肩に手を置く幼い私が彼女にはどのように映っていたのだろうか?

今ではすべてが陽炎の様な思い出でしかない。写真に残っている画像もまるでフィクションであるかの様に記憶の彼方に去っている。
時には愛憎混じりの葛藤もあった切れぎれの時間の中に、それでも母親として“私を育てた親であったこと”が私を培った愛情の記憶として残っている。


 


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発想と思考のメモ [随想随筆]

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[イメージゲーム/競争]

競争と言えば、生存競争・弱肉強食・優勝劣敗…そんなイメージになるが。クリエイターだからこそ、新しい価値観を生み出す使命を持ち合わせるのかも知れない。
『ある競争の物語』…うっかり張り合ったり攻撃し合ったりすれば、どんどん消耗してしまう。なにか変だなと、ルールが違う事にいつ気がつくか?そうです、これは互いを生かし合うゲームなんです。


[それぞれの仕事]


・アーチストは芸術家。世界を変える必要も、自分が変わる必要もない。自分の感じた世界を納得のいくようにトランスとして表現すれば良い。
・アルチザンは職人。基本的な技術に研鑽を重ね、時代に対応しながら変わらぬ質を維持し続ける。
・クリエイターは創作家。新しい視点を発見し、新しい価値観を提供する。混迷の世界に一筋の光を投げかける。奇跡を呼び込むのはいつの時代もクリエイター。

 


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<平成24年・記>


☆☆☆☆☆


拙ブログの過去の記事を読み返していて、改めて自分の在り方を気付かされることがあった。
それは「志しの意識」の問題。たまたまビデオで『ラ・マンチャの男』を観た事も関係しているかも知れないが、時には社会や時代の流れに逆らって夢を求めてみることも必要であるような気がする。
「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉があるが、霞や幻想を食いながら生きる“馬鹿と言われる”生き様にもそれなりに価値があるに違いない。


どこに志を置くか?どこに魂を置くか?それが肝要なのだとこの歳になってから思うようになった。


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見果てぬ夢を求めて騎士道(和に置き換えるなら「武士道」ですね)を歩む老いたドン・キホーテの心意気はアナクロニズムで古典的な時代遅れのロマンチシズムかも知れないが、人生の最終ステージを迎えようとしている初老の私にとってはふさわしい宝物のような気もする。


どうせ叶わぬこの世の夢ならば、思い切り溺れてみるのも潔さかも知れない。馬鹿を承知の人生こそが理屈を超えた楽園を垣間見させてくれるだろう。
風車に向かって突進するドン・キホーテが“夢中に生きる”ことの生き様の象徴だとすれば私はどんな生き様を象徴とするだろうか?


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私流カミングアウト(1)~父親の出自 [随想随筆]

とても多くの人たちがこの So-net ブログに繋がっていて、その中には“小説より奇なり”といった体験をされている方もたくさん居られるようだ。

実際、世の中には小説や物語を超えた現象・事件・体験が驚くほど多くある。
私の父もその人生に於いて比較的多くの事件に遭遇した人で、生前中に聞かされた話にはいくつかの驚きの事実があった。

私が生まれた時には既に鬼籍となっていた祖父が生前は地元の顔役として名を馳せていた事や、祖母の知己には“腹切り問答”で有名な政治家・濱田國松という人物がいたという事実などなど父の生前中には興味もなく聞き流していた事を惜しく思う。

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 ▲衆議院議員時代の濱田國松翁(Wikipediaより抜粋) 

私の父親は明治44年生まれだったので、最後の一年間の明治時代を含めて大正、昭和、平成と四つの時代を生きたことになるが、改めて父から聞かされた逸話の数々を思い返してみると父の気概のようなものを知ることが出来る。

祖父にしても私にしても我が家の男たちはどうも波乱万丈で普通の人生を歩まない運命らしく、父も同じくドラマチックとも言える様な人生を生きた。

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そういった事もあって両親や祖父母の出自や身辺事情にふと興味が湧き、改めて家系を調べて整理してみたいと思うようになった。
丁度タイミング良く雑誌の特集で「自分史と家系図」の特集をやっていて、役所の戸籍謄本は死後150年間保存されている事を知ったので、早速父親の本籍地の役所まで行って発行してもらって来た。

そこには色々と新しい発見があった。そのひとつは私自身の出生地が思っていた所と違っていたことだった。子どもの頃の話の中から勝手に決めていたもので、思えば誰からも確かめたことはなかった。今回の謄本から初めて分かったことだった。

自分自身のことをより深く理解しようと思うとどうしても両親や、そのまた先の祖父母の人生に触れることになる。
私は精神面では父親の影響を多く受けて育ったように自覚しているが、その父自身は祖父と対立し祖母を背負って生きて来た時代があったように聞いている。
三男として生まれ育った父だったが、長男・次男の二人が夭逝したために一家の柱という立場になってしまった。東京の大学まで進んで将来は外交官になる夢を持っていた父だったが、祖父の負債や親族間のトラブルなどで家庭崩壊した後の一切を背負って生きる事となったのは事情を知る者にすれば不運という風に理解できるだろう。
 

そして父が面倒を看続けて来た件の祖母は私が物ごころつき始めた4歳の頃に亡くなった。かすかに残っている記憶ではとても品のある物静かなお婆さんだったように覚えている。
地元で有名な旅館の次女として育って、どういう訳か遊び人の旦那衆だった祖父の所に嫁に来たようだ。たぶん明治時代の昔の事だから、たぶん自分の意志ではなく祖父の強引な求婚と周りの者たちの口添えだったのだろうと推測する。何故なら、祖母の結婚生活は淋しいもので、祖父は妾をつくって晩年には名古屋の別宅で暮らしていたという話だから、今では考えられない理不尽さだったようだ。

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それでも彼女は明治の女性らしく慎ましやかだけれど気丈夫な女性だったようで、祖父を亡くして未亡人となった後にも戦禍をくぐり抜け息子に世話を掛けぬよう心掛けて天寿を全うした。

私の父はその様な独り身の祖母を背負って生きて来た不本意な時代があったわけだが、遊び人で放蕩三昧と言われた祖父に対して若い頃は否定的で反発していた父も晩年になってからは亡くなった祖父の生き様を弁護する事はあっても批判する事は無かった。
父からよく聞かされて覚えているのは「祖父は子供好きで子供を可愛がる人だった」という事だ。反抗もしてよく喧嘩もしていたという割には大切にして貰ったような口ぶりに不思議な感じがしていたが、私も年齢を経てから親子として男同士としての関係に理解が出来るようになった。

ひと頃は父親の生き様を反面教師と呼んで否定した事もあった私だったが、考えてみればその父の背中を見て育ったのも私である事に違いがない。自身の考え方や生き方の方向性を形成してゆく過程で父親の数々のエピソードが影響を与えていることに気づくのは私が父親を越えて成長したと思える後のことだった。

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父から聞いた戦前の話 [随想随筆]

新聞雑誌、テレビやネットなど多くの情報に接するたびにふと頭をよぎる事がある。
「私たちはこれらの過多な情報にまつわる論評をどこまでまともな気持ちで聞いているのだろうか?」
真に受けて信じ込んでいるとしたらそれは危険な事でもあり、反面また単に聞き流して真に受けていないのならその風評は何といい加減に世間に垂れ流されてゆくものなのだろう。

時代が今のような様相になってからは、言葉の真意が曖昧で取りとめのないものに変色してしまったような気がする。
改めて自分の幼かった頃に周囲の年配の人たちが話していた内容を、とりわけ父親との話を思い出してみると何か本質的な部分で違いを感じずにはいられない。

私の父親は明治44年生まれだったので、最後の一年間の明治時代を含めて大正、昭和、平成と四つの時代を生きたことになる。
その父は34歳の頃に召集令状が来て戦地に赴いたという事だったが、この年齢では高齢の部類で身体検査も下のランクだったので、まさか軍隊に召集されるとは思っていなかったらしく、昭和19年で戦争も末期の頃だったから周りの知人たちからは「お前が兵隊になるようでは日本の軍隊も終わりだな」などと冷やかされたらしい。

戦前の日本で現代と違いを感じるのは、社会がまだ整備されていなかったせいもあるが、アウトロー的な知識層が多かったという部分だ。一匹狼とか無頼とかいう言葉が生きていてそれを自負する作家や芸術家も多かった。
学校制度も戦後のGHQ指導とは違っていたから、父の通っていた学校では能力に応じて自由に上級に上がれる合理的な学年編成のシステムを採用していたらしい。

「末は博士か大臣か」という言葉が流行った時代があって田舎出身の父も外交官を夢見て東京の大学に進んだのだが、帝都の文化的な刺激に魅了されていつしか文学や芸術の世界に足を踏み入れてしまったという多情で意志薄弱な親父でもあった。
昭和初期という時代は立身出世というビジョンで単純に社会的向上心を煽られる反面、呑気で刹那的な享楽を求める厭世感も浸透していたのは今の日本社会ともそれほど変わらないのかも知れない。

社会は未成熟でインフラもシステムもまだ未整備だったが、人々の気質は自立心の強い無頼の精神が見受けられた社会だったように思える。
最近よく言われる『空気を読む』といった慣れ合いの生活感覚などとは程遠く、意外と自分の領域を自覚して迷いのない生き方をしている市井の人々も多かったようだ。

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新聞やラジオでしか世間のニュースを得ることもなく、その情報量の少なさから戦前の日本人は文化的水準までもが遅れていたようにイメージされがちだが、確かに社会生活基盤といったインフラの部分では未開発部分が多かったものの、民族的な文化水準はある意味で今よりもオリジナリティが高かったようにも思える。
欧米の“リーガル・マインド”は浅かったかも知れないが、“法の基準”としての日本的な任侠や道徳の意識は幼児期から培ったものとして一般社会・日常生活のコンセンサスとして根付いていた。

そういった自覚あった筈の人々がいつの間にか戦争に取り込まれ邁進していったのは、やはり人間本来の「力」への憧れと一般世論から外れて独自に社会的に生きることの難しさというものなのだろう。
父から聞いた戦前の話を思い出し改めて振り返ったとき、今の時代の意識が“強い者の力に屈する軟弱な思考”で、生きる権利や万人平等といった綺麗ごとで受け売りの善人願望などはオセロの駒のように一気に裏返ってしまうような気がしてならない。
丁度戦前の市井の人たちが戦争を避けたいと思いながらもいつの間にか同調して受け入れるに至ったような社会的ムードに近いものが今日の私たちに迫っているような気もする。

戦前の日本人のものの考え方として私が憧れるのは「気骨ある精神」というヤツだ。情報量が少なかったことも事実だし、知識が洗練されていなかったことも事実だろう。しかしそんな事を自覚はしていても頓着はしない懸命な一途さがあったように思える。
現代ではあまり聞かれなくなった「無頼漢」「一匹狼」という呼称は、“長いからといって巻かれない、強いからといって屈しない”毅然とした生き様の象徴であり、戦前の社会では大衆から求められていた何かがあったのだろう。

単なるひねくれ者や暴力に媚びるやくざ者とは根本的に違う「無頼漢」は今の社会では認められにくいストイックな美学なのだろう。

 


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自戒メモ(実に個人的な):歳末悔い改め [随想随筆]

・・・・・・。

ようやく今年も終わる。
「早く次の年に変わってほしい」と今年ほど願った事はない。
今年後半の四カ月間というものは、もう少しで自分の人間性まで壊れてしまいそうだった。

原因のひとつは『就業に係わる問題』
自身の年齢的な衰えもあるように思うが、職業選択に際して吟味・判断の誤まりがあり、職場環境の不適応さを最後まで調整する事が出来なかった。
こんな事は初めてで、職場でいじめを受けたのもまさか初めての経験だった。

本当はこの過ちをしっかり検証してブログに記録し、すっきり整理させて新しい年を迎えようと思っていたのだが、この時期では生活も忙しく慌ただしくて落ち着いて振り返り見つめ直す余裕がなかった。
今回の過ちと戒めは他者から見れば少しオーバーと言われるだろうが、私的には意外と根本的な問題に関わる様な気がしているのでしっかり考えてみたい。

年が変わってから落ち着いてしっかり検証し、気分一新して歩み始めようと思っている。

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それでは皆様、良いお年をお迎えください。

 


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「気」を知り、「気」を捉える~合気の心得 [随想随筆]

考えてみれば、この世界や宇宙のすべては不思議な事ばかりで、それらの殆どを解明しないままに人は自分の一生を終えてしまいます。
結局何も分からないままにこの世から去って行ってしまうという事です。

でもそれでいいんです。生きている間は人には探究心というものがあり真相を知りたいと渇望するのが自然の姿なんですが、全体像を把握できずに死んでしまうというのも今生の必然なのでしょう。

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以前に“病を抱えた身の振り方”として「気」をとらえる生き方の話をしましたが、私は「気」という言葉を「魂」の別称という感覚で使っています。
「魂」は本来エネルギーから成り立っている命の源の一部なのでしょうけれど、その魂の存在を認識・意識するものとして「気」の存在を認めているからです。

人の体を肉体と魂の連携(コラボレーション)と捉えるならば、病を持つ肉体の治癒と共に必要なのが魂の治癒でもあると思うのです。そしてその魂の治癒には「気を入れる」という要素が効果的と考えます。
私は合気道の修練を通して「気」というものが目には見えないけれど様々な効果を生む場面を実感してきました。

合気道の基本は円の動き・円運動にあります。円は丸くて角がありません。円運動の特徴はぶつかり合う直線的な運動とは異なり、全てを巻き込む動きでもあります。
宇宙自体が直線的な構造ではなく球体に近いイメージであるなら、そこに存在する私たちはもっと“円形や球体的な生き方”を洞察することの方がより実態に近づけるかも知れません。

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<※余談追記>
年を越えればいよいよ前立腺ガンの手術です。年末に数回病院を訪れて今後の予定を打ち合わせしました。
病を抱えて暮らす人の事を思えば、手術で摘出できる私の様な者は幸いです。経済的には苦しめられますが、経済的な苦しみというものはある部分で自分のわがままやエゴが反映している事もあるのでその気になれば乗り越えられるものです。
丸く丸く円のイメージで立ち回れば、意外と衝突もなく時間の流れと共にやりすごせる事があります。
 

『悩みの世界に立ち止まらないこと』
『周りに取り囲まれずに自分が取り囲むこと』
そうすれば私もガン手術から無事に戻って来れることでしょう。

 

【演武】合気の真髄を垣間見る


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自戒メモ(実に個人的な):誤まった就労と生活習慣 [随想随筆]

それなりに修羅場も潜ってきたつもりで、人生の生き方も働き方もある程度修得して来たつもりだったが…
久しぶりに大きく落ち込んだ気分でいる。
自己嫌悪とまではいかないが、つくづく自分の至らなさを思い知った。私は一体何を学んできたのだろう?私のどこが成長しどこが賢明になったと言えるのだろう?

正直さとは何に対して言うのか?確かなものとは何を指して言うのか?
虚偽とはどの程度の偽りを言うのか?
自分自身のスタンスがぶれ始めた時、私は根本的な弱さを痛感せざるを得なかった。

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小さな心の隙間から溢れた邪心が、自身全体に広がって間違った影響を及ぼす。
慢心の故の油断だったのだろうか?そう言って自分を慰めなければとても耐え抜くことが出来ない。

今の時代の高齢者は働くことが難しい。かつての高齢者はそれほどまでして働く必要はなかったが、現代の日本社会では高齢者の就業は必須である。
趣味とも道楽とも就かぬ働き方なら一興だが、老骨を鞭打つような仕事ぶりは過酷としか言いようがない。
いい年をして欲望の塊を抱えていると…私の様な間違いを犯す事になる。
高齢者の就労は、今日の日本社会では残念ながら夢や希望は待たず、ひたすら現実的に慎ましくストレスのない心の健康を維持していくことが肝要かと思われる。
そうやって生きていれば、別の思わぬところから良い話が聞こえてこないとも限らない。

障害者就労支援、人権意識啓発、マイノリティ・スタンス、ディーセントワーク推奨 etc. 
色々な立場で仕事をしてきたが、これまでの流れにピリオドを打って一旦隠居を意識してからの現役復帰は難しいものがある事を思い知った。
言葉だけの決意なら簡単に覆せるが、意識の層まで深く届いた決意はどれだけ自分を誤魔化そうとしてもその潜在意識によって阻まれるものだ。

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よく言われる事だが、「他人の事に賢明なアドバイスを送ることは出来ても、私事に賢明な判断を選ばせることは難しい。」
自分自身とは顔を合わせている時間が長いものだから、ついつい油断が出てきてしまう。要らぬ考えが思考に混ざる機会が多いという事である。
間違った思考や選択をしてしまう多くの原因はその『生活習慣』にあるように思える。

 

今回、自分の方向性を歪めてしまうような間違いを犯した気がして反省をしているが
喉元過ぎて熱さを忘れぬように、ブログに記録して時として気づけるようにしておこうと思った。
全くの個人的な自分のみでしか意味の分からぬ独白ではありますが…(苦笑)

天は我々を満たしているのに何故我々は満たされぬのか.jpg

<平成28年11月・記>

 


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ベトナム戦争は何故語られないのか [随想随筆]

最近になって田中角栄・元総理が再評価され注目されているが私には少しばかり気に入らない事がある。

もともと総理大臣に就任した時には「今太閤」などと国民的英雄として持ち上げておいて、一旦ロッキード事件や黒い金脈政治などと悪評が立つと手のひらを返した様に散々バッシングする、そんな世論のいい加減なお調子乗りに辟易としている。
否、大衆の世論に限らず、かつて当時国会議員でその後は都知事にまで為った人が自己の著作『天才』で大いに田中氏を賞賛しているが、彼なども国会議員の時代には『ロッキード黒い霧』と弾劾していた筈だ。世の政治家やオピニオンリーダーと称されている人たちでさえ時流に流された発言をするものだ。
 

同じ様な意味合いで、かつてアメリカが醜態をさらしてあれほど非難されたベトナム戦争の事を人々は忘れ去ったのだろうかと思う事がある。
若い人たちにとっては湾岸戦争以降の対イスラム国との戦いが主になっていると思われるが、かつて米ソ冷戦時代はアメリカ対ベトナムの戦争が世界中の注目の的だった。

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アメリカがベトナム戦争に介入し拡大していった経過は、今日の対イスラム国との戦争と比較して興味深いものがある。
正義のアメリカが世界秩序を守るために悪の枢軸をやっつける構図は常套手段なのだが、今日の世界を巻き込んだ対テロ撲滅戦争は我が国としても支援しているだけに、単純に批評する事は差し控えたい。

ベトナム戦争では、わが国は当然アメリカの支援に回っていた訳で、基地を貸したり見えないところでは資金援助や諜報活動もしていたかも知れない。
世界中の若者に「Stop the War.」反戦運動が広がって、日本でもベトナム戦争介入に対する批判は政治運動へと広がっていった。(政治運動の是非は別次元の問題として疑問を残してはいますが)
湾岸戦争以来、イラク派遣や戦費負担など有形無形にアメリカの支援に回っている我が国の国民は本当に国際的なテロが何故どのような理由で起こるのか分かっているのだろうか?
何かキナ臭い事件が起こると、訳も分からず一方的に「暴力反対!」とシュプレヒコールしている一部の人たちと同じなのではなかろうか?

勿論、自爆テロや無差別爆撃などを認めるものではないけれど、それは表層的な問題であってどちらが加害者でどちらが被害者なのかは視点が様々に判れるところである。


語ろうとしているのはベトナム戦争の真相についてではなく、ここで私が問いたいのは、『ベトナム戦争を見て来た我が国の大人たち(もはや還暦も過ぎた老人となっていますが)は、今日のアメリカの仕掛けている戦争を見て何も疑問視しないのか?』という事だ。
分析や評論を駆使して上手く世の中を立ち回ったつもりでいても、大人たちの狡猾さは若者たちからすっかり見透かされている。

先日、『ドローン・オブ・ウォー』という映画で無人戦闘機による爆撃の悲惨さを観た。
ベトナム戦争で田畑を空爆し、枯葉剤を散布して一般農民を巻き込む様に対して、私たちは怒りと悲しみを覚え反対を唱えた筈なのに…いつの間にかまた同じような事を繰り返している。
何故幾度となく同じことが繰り返されるのか、それは大人たちが何も学ばず何も反省する事をしないから、そのまま次の世代に受け継がれてゆくからだろうと思う。

物事の基準がアナログからデジタルに移行して世界が変質してゆくことは止む負えない事だが人間が人としての感覚を麻痺させる事によって、ますます非人間化してゆくという事には多少の危機感を感じてしまう。
戦争の悲惨さや悲痛な感触を感じなくなってしまう事ははなはだ危険な事のように思う。

何故ベトナム戦争は語られないのか?
冷戦構造時代の象徴となる戦争なのに、今日ではあまり語られることもなくなってしまった。
そしてテロ撲滅のスローガンばかりが声高々と叫ばれて私たちは゛正しい戦争”をしているように錯覚している。
何故テロが起こるのか?その根源はどこにあるのか?これこそが肝心な見極めるべき部分の筈なのに…。

我が国はアメリカの戦術であった原爆によって悲惨な結果を迎えた。その経験が被爆国という立場で戦争による無差別な殺戮にプロテスタントする権限を与えていると思う。
そんな世界的にも希少価値のある立場を得ている日本という国が、自国にとって価値の無い戦争を先進国として同調しながら協力している事はまさに世界観の矛盾である。

第二次大戦でアジアの国に原爆を投下したアメリカは、ベトナム戦争では枯葉剤や火炎放射器を駆使してソンミ村虐殺などのベトコン刈りを行なった。
広島・長崎の被爆者が生存後も後遺症に悩まされたように、ベトナムでは子ども達や多くが枯葉剤の後遺症に悩まされ、多くの奇形児たちが生まれ出でた。
そして今、9・11後の国際社会はアメリカ提唱の元に対テロ撲滅戦争をイスラム国対象に推進している。
私はアメリカが悪いとか間違っているとか言うつもりはなく、それぞれのお国事情があるので政策の違いがあるのは当然なのだが、我が国には一方的な情報しか入ってこないという事に、また国民は訳も分からず一方的に偏る傾向があるという事に将来的な危うさを感じているわけである。

 


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絶版本の中にあるもうひとつの事実 [随想随筆]

現在市場に出回っている書籍は、今の時代のこの社会に受け入れられているからこそ人々の目に触れる事が出来るという訳でしょうね。
戦時中のように検閲がある訳じゃあるまいし、表現の自由は守られているのだから流通が差し止められる書籍なんて無いでしょう…
…って、本当かな?

既に絶版になって社会の目に触れる事のない本の中には面白いものがある。
何気なく手に取った絶版本の中に今では伝えられる事のない当時の真相が記録されていたりもする。
それは最早社会の記憶から消されて意図的に封印されたものである場合もあるようだ。
そんな風化してしまった記事を発見するたびに、かつての人々の熱気や叫びは何と空しいものだったのかと思わざるを得ない。

原子爆弾_本.jpg 

「天皇と原子爆弾」は昭和35年に出版された大森 実のノンフィクション戦後秘史シリーズ第2巻である。
原爆投下の目標地は当初は京都だったが、ライシャワー博士(後にケネディ政権時代に駐日大使となる)の“国民的財産を破壊してはならない”という言葉でリストから削除されて最終的に①広島 ②小倉 ③新潟 ④長崎 の順で決定となった。

終戦処理のドサクサには様々な密約・陰謀といったエピソードがあり興味深い。この本では割腹自刃を遂げた陸軍大臣の妻・阿南綾さんや、米政府の最終回答で天皇に関する問題“サブジェクト・トゥー(従属)”を軍部を抑えるために意識的に誤訳したとされる松本俊一・外務次官。さらに終戦工作の諜報員として終戦に導く貢献をした藤村義朗・海軍中佐たちの直接インタビューといった当時でしか取材できないコメントも掲載している。

私がこの本を読んで思ったことは実際の真偽とは別に、見解というものはそれぞれの立場で異なる見方があって、どちらか一方を採択するという事は選択した者の資質が表われるという意味でしかない。
公開されているか否かは別問題で、真相というものは一面的なものではないという事を知恵ある人は自覚していなければならない。
ひとつの答え(見方)にこだわる者は、そのこだわりの中に自分自身を投影させて、場合によっては誤魔化している事もあるだろう。

もうひとつ読み返してみると面白い絶版本に槌田 敦・著「石油文明の次は何か」というエネルギー問題の盲点を突いた本がある。
これは昭和56年発行の'80年代における原子力や省エネルギー問題、リサイクル運動などに提言をしていた著者の快心作である。

特に興味深かった部分としては、

  • 省エネ政策は省エネ産業という石油多消費産業を育成することが目的となってしまう。
  • 原子力が石油の代替ではない。原子力は石油を使用して発電をする“石油発電の一方法”にすぎない。
  • 電力をエネルギーというのは便宜的な言い方であり、電力とは発電機を動かしている火力とか水力という動力を遠方のモーターへ伝達する方法であってエネルギー自体ではない。
  • 資源の枯渇よりも廃物の捨て場の枯渇が現実的な問題なのである。
  • 石油文明とは“石油など燃料で加熱して、水で冷やす文明”と言ってもよく、日本の工業用水の内90%は冷却水として利用されている。(残り約10%は汚物などの洗浄)
  • 都市でも農村でも大量の水が廃物や廃熱を処理する手段として用いられて、一説には石油を1使用すると結果として水をおよそ20消費すると言われている。
  • 国家や地方公共団体や企業は、汚染対策事業という産業の振興をはかろうとするが、熱汚染に対して汚染対策をしないことが問題を悪化させない最善策であり、廃物や廃熱を捨てる原則としては、汚染は発生源のすぐ近くに捨てるということに尽きる。
  • 土と水循環が地球のエントロピーを処分する自浄作用の基本であり、石油文明の次の社会では、資源としての水の能力の範囲で生活する技術を身につけなければならない。
  • 現代の科学技術とは突き詰めれば石油の技術であり、石油の能力の範囲内ではいろんなことができるが、石油の能力以上には何もできない。エントロピーの限界、たとえば廃物・廃熱の捨て場がなければ科学技術はまったく無力だなどという事を科学者は誰にも教えていない。

などなど…35年が過ぎた今でも、未だに議論が本質から外れて為されている事を発見してしまいます。

石油文明の次_本.jpg 

ちなみに余談ですが、昨今の新書や文庫のタイトルには疑問に感じるものが多いです。
スキャンダラスなものや煽情的なもので目を引かせたり、著者の意図というよりも編集者のマーケティング戦術にコロッと騙される自分が残念!だったりします。

 


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社会との付き合い方を考える~高齢化社会の高齢者 [随想随筆]

 「楢山節考」…かつて遥か昔の我が国には、姨捨山(おばすてやま)と呼ばれ伝えられて来た因習がありました。
 一見残酷の様ですが是非を問うより前に、老人を家族の一員として待遇・対処する姿勢がそこには見受けられます。
 社会的インフラも整備されていない時代ですから当然福祉政策のお世話になるなんて事は考えもしませんが、それでも老人を身内の一人として看取る覚悟(スタンス)はしっかりしていたように受け取れます。

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 ▲中野正・画「散りゆく花」/油彩(30号)

 高齢者の位置付けは国によって様々ですが、諸外国の多くは社会からリタイアした存在であるところが多いです。
 戦時中の国や、貧困に喘ぐ国家などでは兵士や労働力として駆り出されるところもありますが、政策の見地からは国勢に貢献するものとして組み入れないのが一般的なようです。
 しかし世界でも稀な高齢社会の日本では、まだまだ老人の力を必要としているため(特にその財力を…)やたらと社会貢献や社会進出に期待をかけようとしています。
 国家や地域に貢献する生き方はそれはそれで構わないのですが、その大義名目に便乗して都合よく人心をコントロールする巨悪に騙されない様にしたいと思うわけです。
 特に現代の若者たちにとっては未経験ゆえに想像することが難しい歴史の事実ですが、昭和初期に日本全国が不況の嵐に巻き込まれた時、新天地をめざして満州開拓を推奨されて出て行った農家の人たち。彼らは皆普通の善良な人々でしたが、時の権力に利用されて知らず知らずの内に“侵略と呼ばれる政策”に加担する事になって行った…例えばそんな事実がある訳です。

 社会にとって役に立つ存在であることは、恩恵も受ける代わりに貢献も求められます。
 役に立たない存在で生きてゆくことは社会の生み出す成果を蝕む存在として何の権利も与えられません。(そもそも人権も国民主権も権力によって与えられるもので自然発生するものではありませんが)

 社会に役立たなくては生きている権利がないとは、なんとこの世は棲みにくいものでしょう。
 一体この社会とは誰にとって何のための組織体なのか考えたことがあるでしょうか?よしんば、社会組織は私たちの暮らしに必要なものであるとして、それが望み通りに運営されているのでしょうか?
 ジョージ・オーウェルの寓話「アニマルファーム」の様に、まるで誰かに牛耳られるが如くに都合よく生かされているのかも知れない…なんて想像したりはしませんか?

 私は決してペシミスト・厭世主義というわけではありませんが、人間社会の集団的な性癖には閉口する事が多いです。
 高齢者が巨大な集団を形成する日本の未来社会では、高齢者の・高齢者による・高齢者のための不自由な世界が展開される事だろうと今の内から、社会との付き合い方を考えさせられてしまいます。
 人間は環境や教育によって形成されてゆく生きものなので、この国の民族文化的風土や戦後学校教育によって育った団塊老人がシェアを占める“社会の性格”をしっかりと把握して居たいと考えます。

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 ▲中野正・画「老人は何処へ」/油彩(50号)

 


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本を世に出すということ [随想随筆]

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かつてのミニコミ誌的な発想で、手づくり出版の「ZINE」ムーブメントが流行っている。
従来の自費出版とは一線を画するもので、漫画業界で例えればコミケ(コミック・マーケット)のようなものである。

私も数冊のマンガ本と読み物を手づくりで発行してきたが、若い人たちの「ZINE」のクオリティには目を見張るものがある。DTPの技術はもはや業界人だけの独占ではないようだ。

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 ▲私個人の趣味的手づくり本「ZINE」

出版社が採用してくれる場合は担当の編集者がマーケティングの観点から「売れる」と判断したものである場合が殆どだ。
斬新で見栄え良く、解りやすくて真実味があることも大事だが、
何といっても売れる要素がなければコストを掛けてまで世に出すことはしないのが企業というものだから、芸術作品といえども費用対効果の計れないものは世に出ることはないだろう。

そう考えてみれば、出版される本というものは既に利益計算の出来ている作品であるということになる。
編集者の商業的目利きによって世に出るか出ないか決定されるということは、著者がマーケティング思考を持って作品をつくらなければ世に出すことも出来ないという訳である。

売れる本でなければ世に出るチャンスも人々の目に触れるチャンスもない。
商品としての価値を持たせなければ出版して社会にテーゼを投げかける機会すらもないという訳だ。

しかし別の観点から見れば“本をつくるという行為”は一種の芸術活動のようでもある。
手づくりで本を綴じ、自分で作ったコンテンツの製本作業をしているとまさに芸術家の気分になる。
SNSの行き渡った時代に、ミニコミ誌的コミュニケーション活動をすることは時代の逆行ではなく、本質回帰であると私は感じている。

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 ▲本質回帰のイメージキャラ「かんれき号」

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出版市場から脱落した、珠玉の書籍たちを並べた画廊や展覧会場なんてものがあれば面白いでしょうね。
社会はマス化して、マスコミ・マスメディアといった包括的なものになったけれど、そこから真実はどんどんねつ造されて洗脳社会が定着してしまったように思える。

もう一度、不便な手づくり思考でローテクなミニコミ的・本づくりに視点を移すことが新しい視点・価値観の創造に繋がるようにも思える。

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運気の法則 [随想随筆]

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今年は年頭に「運気について」の暗示的な初夢をみました。
そこで運気についての考察を私的な覚書きとして記述しておきます。

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☆[運気の考察]

  • 運不運というものは気の流れのようなもので、宇宙空間の法則の基に在り続ける現象である。
  • 幸運も不運もひと所に留まるものではない。常に変化し、河流の泡のように生まれては消える自然現象である。 
  • 幸運であり続ける事も不運であり続ける事もない。延々と続くように思うのは人間の錯覚で、誤まった解釈が苦痛の根源となる。森羅万象不変なものは存在せず、それは運気に関しても同じである。

 

☆[運気との付き合い方]

  • 運気とは引き寄せたり切り離したりと、人が操作出来るものではない。その流れにどの様に対処して行くかが人として精一杯出来る範囲である。
  • 運気は向こうからやって来るものである。運気を迎え入れる態勢の無いところにはやって来る余地がない。
  • 幸運を持ち続けない事。これが運気を迎え入れる賢者の法則である。
    (古い革袋の酒を飲み干さない限り、新しい葡萄酒は注がれない)
  • 運不運に一喜一憂することは仕方がないが、そこにいつまでも留まっていてはいけない。幸福だからといって、いつまでも抱えていてもいけない。「手放すこと」が運気の新陳代謝を促し健全な循環を為す。
    (しかしエセ託言者の薦める、何かに対して貢ぐ行為は間違いです)

 

<平成28年 正月・記>

城と松.jpg

 


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