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ねこ視点 [ねこ次元]

猫と一緒に暮らしていると、時々猫の世界に足を踏み入れることがある。
そうすると不思議な事に、猫の視点からものを見るという感覚を体験する。

長く一緒に暮らしていると猫の方も私との最適なコミュニケーションのツボを覚えるらしく、上手なおねだりの仕方とか、意思を伝えるだけでなく私をコントロールするテクニックまで身につけるようだ。
そしてどちらがペースを握っているのか、ハンドリングしているのか?されているのか?分からなくなる。

どちらが主でどちらが従か…そんな事にこだわってしまうのも人間の性(さが)の一部なのだろう。そんなものがある限りコミュニケーションの共有なんて難しいに違いない。

ミカン階段.jpg 

他人の立場になってものを考える事でさえ難しいのに、猫の視点でものを見るなんて出来っこない。
そんな声が聞こえてきそうだが、果たしてそうなんだろうか?

なまじ同類で分かり合える筈だと考える方が誤解を起こしやすく、そもそも分かり合うことは難しいと覚悟したほうが案外と共通項を見出しやすいようだ。

決して猫たちとコミュニケーション出来ているなんて思い上がりはないけれど、理解し合える“理想の形”の何たるかは少しは分かったような気がしている。

ミカン-de-チュー.jpg 

猫たちのことを考察し始めたおかげで、私は「次元」というものの存在を感じ、意識することが出来るようになった。
このことは還暦を過ぎて人生の終章に向かおうとしている私に、大切な気づきの機会を与えてくれた。
それがどの様な事なのかここで説明することは出来ないが、私の日々の生活や創作活動にはその感性が醸し出されてくることだろうと思う。

ねこ視点で俯瞰したり仰ぎ見たりしてみると、世界がまるで違って見えるのが面白い。 
這いつくばって、猫と同じ目線の高さで、時にはにゃ~ごなんて声を発してサインを送ったりしていると、
人の社会からはどう見ても奇人変人の類いに仕分けされるのでしょうね。(爆)

書庫前の猫.jpg

 


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ねこ背 [ねこ次元]

ある日、猫の背中に興味を持った。
何だかとても可愛く、そして哀愁を感じたからだ。

そもそも背中というものは、どこか無防備であったり隙があったりしてもう一方他面の姿が垣間見られるところだ。
猫たちにしても耳を忙しく動かして背後には気を配りながらも、その内面に押し隠している人懐っこさや孤高の哀愁は滲み出てしまうようだ。

ミカン背_04b.jpg

猫はどこか孤独なアウトロー的雰囲気を醸しているように思う。
時には媚びたようなポーズもとるのだが、プライドが邪魔をするのか突然醒めてしまって本来の“無頼の表情”に豹変したりする。

「親の背中を見て育つ」という言葉がある。
「背中が物語る」「背中で伝える」という表現もある。
背中というものは寡黙なくせに雄弁に語る。

アラ背_c.jpg

ミカン背_01b.jpg 

ツンと澄ましたその風情
身勝手な潔さが憎らしいけれど心地よい。

儚さそうで隙がない
凛とした猫の背中は“無頼の魂”を物語る。

ごま背_a.jpg

ミカン背_a1.jpg 

それでも時には何かを心待ちにしている節がある。
澄ましたクールな横顔が淋しそうなグラデーションに変わるとき
猫にも無理して生きる様な“美学”があることを発見してしまう。

一見薄情そうな猫の横顔にも、そこには深く押し込まれた情の世界があり
それを物語る猫の背中がある。
「猫に九生あり」…九生もある猫の背中なのだからそれはもう奥深い筈である。

ミカン背_b2.jpg 

猫の背中を読み取ったなら、貴方も少し“猫の次元”に足を踏み込んだことになるのでしょうね。
私にはそんな気がしてなりません。
 

ごま背_b.jpg 

 


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ねこ路地 [ねこ次元]

ミカン車庫.jpg

愛猫の行動を眺めていてふと気になった。
昼間はものぐさのように眠っているのだが、夜行性のせいもあり夜になると目を輝かせて外に出てゆく。
一体どこへ何しに行くのだろうか?
それこそアニメ『猫の恩返し』のように、どこかに猫だけで井戸端会議をするコミュニティ世界があるのだろうか?
 

猫の次元を訪問して一度探索してみたい。
だって私も子どもの頃から夜行性で、狭い路地裏が大好きな人種ですから。

路地猫.jpg

猫は基本的に社交が嫌い。定期的に集まって互いの近況を確認し合ったりもするけれど、飽くまでも自分の肉体的健康や身分的存在確認の為であって、決して人間のように社会的集団を求めている訳ではないようです。
基本的に猫は「無頼」なんです。だからそこが私の気を引くところ。

「猫が無頼だなんて誤解だよ。餌を欲しがったり、ねこじゃらしで遊び相手を求めたりするじゃないか」と言う声が聞こえてきそうですが、それでも猫は“無頼”なんです。決して人に期待はしていません。

野良犬と飼い犬では明らかに人間に対する姿勢が違うように思えますが、野良猫と飼い猫は一見違うように見えていて実は同じスタンスを維持しているように思えます。
愛猫を観察していると、我が家に入り込もうとする野良猫を威嚇して自分のテリトリーを固持しようとはするのだが、夜になると住み家を離れて何処か探索に足を運んでいる様子なのです。
犬は人に付き、猫は家に付くと言われますが、愛猫にとっても我が家は単なる餌の得られる生活の基地以外の何ものでもなく、その心は自尊心の高い“猫ポリシー”をヤサグレの野良猫たちと共有しているように思えます。

商店街の猫.jpg 

今は空洞化してシャッターが閉まったままの商店街をまったりと歩く姿。
滅亡したローマ帝国の廃墟にたむろする猫たちにも共通する、ものの哀れを感受する様は決して犬たちには真似のできない猫の精神性の深さのように思えます。

独居老人宅の門前に誰に断ることも無く禅僧のように黙然と暮らす様は、もはや無頼以外の何ものでもありません。

門前の猫.jpg 

もともと昔から路地裏というシチュエーションが好きだった私は、そこに猫を発見すると何だか心まで通じ合えるような気になってしまいます。

【ねこ路地=necology:猫の生態学の意味】 by 扶侶夢


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ねこ親書 [ねこ次元]

猫と私の出会いは、物ごころが付いた頃の幼児期まで遡る。
考えてみれば、生活体験を共有することで私の人間形成の一端を担ってくれていたと言っても過言ではない。

いま改めて猫たちとの一期一会に感謝しながら、彼らとの語らいの中で人生の風景を眺めてみたい。
そこで「ねこ親書」…こんなタイトルをつけてみた。

cats_correction-01.jpg 

人生とは儚く刹那的に見えていて、そのくせなんと重厚で奥深いものなのだろう…
猫を傍らにおいて共に暮らしていると人間世界を別の視点、別の次元から眺める機会を体験する。

絵を描きながら様々な固定観念と対峙し、時にはそれらを乗り越えようと模索していると、ふと自分個人の観念や次元から解放されて自由な魂を得られることがある。
そんな時、私は猫次元の住人になる事があるのだ。

実は、別に猫でなくても良いのだが…
例えば犬でも鳥でも蛇でも良いし、草花や樹木など生命のあるものなら何だって良いのだ。
彼らは自分たちの命をどう認識していのだろうと思う時がある。

猫たちを眺め、時々目線を共有して過ごしていると様々な事にこだわり、呪縛されている人間というものが“苦痛の動物”に見えてくる。
人の社会とはそれなりに素晴らしいものなのだが、それでも完璧ではないし理想ではない。猫の生きている猫社会も不完全ではあるのだが、それでも苛立つこともなく適当に生きている。

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人が猫を眺めて論じているように、猫からの視点で人との共有世界を論じてみるのも面白い。 

ところで、夏目漱石はどうして猫の視点から人間社会を描くことを発想したのだろうか?
「吾輩は猫である」を思い出してそんなことを考えてみた。確かに猫には他の家畜やペットには無いクールな観察眼が備わっているかも知れない。
ある意味で、人間をより高い次元から俯瞰して眺められる唯一の生き物が猫だとしたら面白い。

人は達観すると猫の境地にゆくのだろうか?犬神様は聞くが猫神様は聞いたことがない。
犬は祀り立て崇められるが猫を崇めることはない。猫はこの日本(大和)では恐れ畏れられる生き物なのに違いない。
古代エジプトなどでは玉座などに座って誇り高い地位を確保しているのに、この国では化け猫だとか九回生き返るだとか、怨霊の象徴のように扱われている。たぶんこれは恐れから来るものなのだろうけれど、何故そんなに畏れられるのだろうか?…今後の私の研究課題のひとつである。

シロチビ-キューブ.jpg 

これからも猫たちとの交流を深めたい。…が、私の場合は世間一般のペット愛好家とは違っているようで実に個人的思い込みと偏見の強い付き合い方なのである。

それは子どもの頃から還暦に至るまで猫たちとは様々なエピソードを共有してきたからなのだろうと思う。
ほとんど猫と一緒の時間を過ごしてきた幼少の頃。学生時代に遭遇した、恐るべし「猫殺しの辰」との闘いの日々。新婚時代の借家にやって来た野良猫。そして12匹の愛猫たちとの個性的な生活…などなど。
こうやって振り返ってみると、やはり私の人生形成に少なからずの影響を与えていることに改めて気がつく。

cats-correction_02.jpg 

☆ 


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久しぶりに猫を描く [ねこ次元]

机上のイラスト.jpg 

雑誌の挿絵で久しぶりに猫の絵を描いた。

車で轢いてしまった野良猫の命を結局助けられずに墓をつくって供養をする、という少しヘビーな話なのだが、
ここのところ猫の描写をしていないので近頃の自分のスタンスを確認する意味でも興味深かった。

そしていざ描き進んでみると筆者の心情を理解できる部分も多く抵抗なく取り組めた。
挿絵を描くときは、やはり内容に理解や共感が出来ないと私はのれないタイプらしい。

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構想の途中で放ったままになっているが、猫を主人公にした絵本を創るきっかけとなったのも、愛猫との死別だった。 

子供の頃を振り返るとこれまでに何度となく犬や猫を飼ってきたが、それほど深く彼等のことを想い起こす事はしてこなかった。
共に過ごした日々への邂逅や感慨を暖めることもなかった私だったが、忘れられないエピソードは数々ある。

挿絵を描いていて、改めて自分のライフワークの位置づけとして「猫・犬との交流」を描いてみたいと思った。

机上猫スケッチ.jpg

ひと口で猫を描くと言っても、それには様々な方法と視点がある。

私は芸術家ではないから、私にとって「表現者」というスタンスから生み出される「猫」は媒体の一種なのかも知れない。
何かを伝えるための媒体としての「猫」…そんなイメージが浮かんでくる。


▲今は亡きアラちゃん@2010年・アジアカップ

 


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写真作品としての「猫」 [ねこ次元]

駆け足のネコ.jpg
[猫]

もしもこれが絵画であったなら「猫」というタイトルはつけないであろう。(そもそも構図的に「絵」として成り立たないかも知れない) 私が絵画でネコを描こうと意図するなら、それは対象を画面の中に配置して観察するように描こうとするからだ。

しかし一枚の写真として、その場面と時間を切り取った作品として感性を表現しようとした場合は、ねこの存在感だけで充分だと考える。
「描かれていない絵」は無さそうだけれど、「写っていない写真」というのはあるのかも知れない。

“眼で見ることの不自由”

“時空に囚われることの不自由”

芸術はそれらからの解放に向かって、挑戦的な一面を持っているように思える。 


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ねこの次元 [ねこ次元]

何故絵を描くのか?
何のために絵を描くのか?
何を求めて絵を描くのか?…

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何故人は生きているのか?
何のために生きているのか?
何を求めて生きているのか?…

そんな類の事は何十年もの間、考え続けて生きてきた。

人を愛してきた。人を憎んできた。
信じることもあり、裏切ることもあった。
正しい事も、間違った事も、成功も失敗も繰り返してきた。
生きようとしてきて、死のうとしたこともあった。

それほど深く人生の旅路を続けていても、ねこの次元をも知ることはない。

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一冊の絵本さえも、まだ仕上がらずにいる。

まだ猫たちのこころを僕は捕らえ切れずにいるようだ。

 


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猫たちとの日々 [ねこ次元]

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猫たちとじゃれている時間に言葉はいらない。

【言葉はいらない…邪魔だから】


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「猫の描いた絵本」との出会い [ねこ次元]

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セピア色した暖かな記憶が 僕の中には眠っている

目くるめく日常の中で 引き出しの奥にうずくまっているけれど

もしかしたら それはとても大切な思い出なのかも知れない

僕がヒトになった頃 当然のように傍にはネコがいた

名前は「ミーコ」 僕が親姉妹の名前よりも先に口にした名かも知れない

寝起きを共にする仲良しだったくせに

時々イタズラで火鉢に突き落としてみたりする 僕は迷惑な家族だったようだ

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そんなミーコも13年間生きて 夢にまでみた新居に引っ越した年に亡くなってしまった

友だちも居なくなった新しい環境が たぶん暮らしにくかったのだろうね

その後も たくさんの猫たちが たくさんのメッセージを届けてくれた

そして僕は若者になって 大人になって 初老の扉の前に立ち

ようやく 一冊の大切な絵本を見つけることが出来た

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それは たくさんの猫たちが僕に届けてくれた命

ひっそりと納屋の奥に仕舞い込まれていた 『猫の描いた絵本』

【猫の描いた絵本/秘話】


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「猫の描いた絵本」に魅かれて… [ねこ次元]

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我が家にたくさんの猫たちが集まり始めたのは、もう四年も前のことである。一番最初はトラ猫の「ミカン」。そして続いてほぼ同じ日に「ブッチ」と「シロチビ」。それからブッチに子どもが生まれて…、どこからか子猫が舞い込んで…、でも何匹か貰われて行っちゃって…

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猫たちにとって、この世界ってどんな感触なんだろう?陽ざしがポカポカして気持ちいいときは、ベランダに天国を見つけるんだろうな。好物のキャットフードを目の前にしたときも幸せに違いない。

…でも、そんな猫がこっそり描き綴った絵本が どうやらガレージの奥にしまってあるらしい。そんな噂に魅かれて私は ガレージの隅っこをのぞいたり、地面にへばり付いてみたり…。

もう後一週間くらいで今年も終わり、年を越すことになるけれど、まだ猫の描いた絵本は見つかっていない。
結局、『猫の描いた絵本』を見つけることは出来なかったかも知れないけれど、私にとってはその存在を知ったことは大きな幸せだった。

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そんな訳で『猫の描いた絵本』を探す旅は、そのまま来年に引き継がれることになった。


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「猫の描いた絵本」って、どんなだろう? [ねこ次元]

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猫の描いた絵本って、どんなだろう?

それはきっと、わがまま気ままな表情で

それはたぶん、好奇心いっぱいな表情で

それはもしかすると、悪戯っぽい表情で 私を眺めているかも知れない。

【閑話休題~生きものと心を通じ合わせる】


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「猫の描いた絵本」を探して… [ねこ次元]

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『猫の描いた絵本』を探し始めて、もう一ヶ月が過ぎた。
猫の足どりを追いかけて、板塀のすき間や縁の下をのぞき込んだり…。

背中を丸めて、頭を屈めて、息を殺しながら…そぉっとガレージに忍び込む。
なんだか自分自身が猫になっちゃったみたいだ。

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プラスチックのトレーが落ちていた。いつも餌をあげていた入れモノだ。
どこかに無くしたと思っていたら、こんなところまで持ってきてたんだね。

もしかするとこの近くに…
絵本を描いていた猫のためのアトリエがあるのかも知れない。

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猫の描いた絵本 [ねこ次元]

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「猫の描いた絵本が見たい。」

理由(わけ)あって…
猫の描いた絵本を探すことになった。

絵本探しの旅を、最後まできちんと続けられるだろうか?
そして、お目当ての「猫の描いた絵本」を
本当に見つけることが出来るのだろうか?

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私が悲しみに打ちひしがれていた時に
私の神様が頭の中に降りてつぶやいてくれた…

「猫の描いた絵本を探しなさい」

それはたぶん救いの言葉だったのかも知れない。
そうして私は、絵本探しに旅立つ決心をした。

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