So-net無料ブログ作成
前の2件 | -

咬ませるという行為~愛咬 [随想随筆]

猫や犬と暮らす生活が子供の頃から久しく続いているが、ある時ムツゴロウ・畑正憲さんが犬のしつけ方の紹介で、犬の口を丸ごと自分の口で覆って銜えるのを見て驚いた。これは犬との信頼関係を築くのに効果的な方法で、決して牛耳るための仕草ではなく信頼関係を築いた上でしつけを進めると云う事だった様に覚えている。
頬や額、手の甲へのキスは人間の愛情、信頼表現のひとつであることを考えると口唇というものはコミュニケーション手段として重要な役割を負っているように思える。偽りや中傷を振りまく“口頭の行為”とは違って、口唇は“真実と情愛を生み出すためのツール”というのは大袈裟だろうか?
そして愛情の表現に優しく緩やかな「ソフト・ラブ」と厳しさを兼ね備えた「ハード・ラブ」があるように口唇の行為にも、先の“銜える伝え方”とは別の“咬む”行為がある事も忘れてはならない。

咬むという行為は攻撃的で相手を威嚇している場合もあるが、別の視点から見ればそれは相手への信頼度を測る“疑いのバロメーター”でもある。そう云えば「風の谷のナウシカ」でナウシカが野生のキツネリスに指を噛まれるシーンがあったのを思い出す。
ナウシカ_01.jpg
                           <「風の谷のナウシカ/第一巻」[コピーライト]徳間書店>
野生のキツネリスは後に『テト』と呼ばれてナウシカに付き添う友となるのだが、その対応はまさに友情と信頼を築くための示唆を含んでいるものだった。
ナウシカ_02.jpg
                          <「風の谷のナウシカ/第一巻」[コピーライト]徳間書店>
咬まれても恐れとか痛みとかを表わさず、痛みを受け止めて緩和吸収し、復讐として吐き戻さない行為。それは相手の中にある怯えや恐怖心を和らげて本能的な攻撃性を受け止めて癒す意味でもある。ある種の信念が無ければなかなか出来るものではないことも事実だ。信頼をベースにした平和というものはこうして築かれるものなのだ。(ちなみに余談ですが「愛」が平和のベースになる要素だとは私は考えていません。その美辞に隠れて争いの種を蒔く事も多いからです)

愛情表現のひとつといわれる「愛咬」は相手に対する愛おしさの高ぶりが衝動的に咬ませる行為で、それによって愛情を確認し所有しようとするわけだが、咬ませるという行為はその欲求を否定・削除せず包み込む事によって相手を生かせる行為とも云えるだろう。
愛咬で表される愛情はエゴ=利己的な欲求の発揮だが、それを拒否せず受け入れて咬ませることは献身的マゾヒストとも解釈される、人間の観念世界にしか有り得ない実に人間的な表現なのである。自分を傷つけようとする(危害を加える)相手を、理解し包み込んで受け入れようとする行為は、自然界では有り得ない「不自然」とも言うべき行為なのである。人間とは自然の摂理に逆らう事で世界を構築し存在してきたとも云える。

 

nice!(16)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

未来へのテーマ~2025年・大阪万博 [21世紀の種]

万博マップ#20c.jpg
【↑ '70年・大阪万博会場マップ】

6年後の2025年、EXPO'25 が大阪で開催される。'70年の大阪万博から55年ぶりとなる国際イベントは果たしてどんな未来像を描いてくれるのだろう。
EXPO'70 では「人類の進歩と調和」がサブタイトルとされて、そのテーマに沿った数々のパビリオンが展開されていた。会場のシンボルとなる岡本太郎の「太陽の塔」もそのテーマに対する問題提議的なアートとして強烈な存在をアピールしていた。もちろんパソコンも無ければ携帯電話も無い時代で、コンピューターと言えば冷蔵庫よりも大きくてパンチ穴の空いたテープが回る仕掛けのもの、モバイルでは自動車電話が一部のVIPや富裕層に普及していたのみで、肩からかけるトランシーバーより大きなモノが未来の携帯電話として紹介されていたのを覚えている。
当時は世界がベトナム戦争や米ソ冷戦の最中で厭戦気分が覆っていた時代でもあり、人類は生活向上と世界平和を望んでいたが21世紀の今日は核エネルギーの環境問題やヘイト差別が争いの種となっている。果たしてこれからの世界をリードしてゆく先進国の取り組むべき課題とはどの様なものなのだろうか?

70年代には「人類の進歩と調和」だった万博のメインテーマが2025年では「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに題して掲げるらしい。この変化と移り変わりには興味深いものがある。21世紀型コンセプトは抽象的で曖昧な形をしているというところに今世紀の世界の混沌とした状況が伺える。ホスト国である我が国がはっきりとした建設的なテーマを打ち出せないところが今の時代の世界の状況を表わしている気がする。20世紀にアメリカと共に高度成長して、それまでの19世紀イギリス・フランス・欧州勢に代わって世界に存在を示してきた日本の国威も、今21世紀には一旦落ち着きを見せる様になった。人類史上にも前例の無い程の「超高齢化社会」を迎えようとしている我が国こそ、明治から平成の今日まで追従してきた欧米型資本主義社会の優等生モデルから転換して、未来の情勢にフィットする価値観の発想が求められているのかも知れない。我が国が貢献できることと言えば、実は文化的な側面が大きいのではないだろうか?高齢化社会の指針を提示するには日本がふさわしい国なのではないだろうか。今世紀の覇者を中国が狙っているがそんな事は尻目に、これまでの成長路線を新しい成熟路線に変更する機会なのかも知れない。
平成も終わって新元号に切り替わる年・2019年が始まった。


nice!(25)  コメント(5) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の2件 | -