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[覚書]我思う故に我在り/2016 [【アーカイブ】]

◆最初はただ何となく作品づくりのモチベーションを高めるための思考メモとして始めたこのブログも年を重ねるとちょっとした回顧録にもなり…そして書き綴っている内に新しく取り組むテーマを発見するワークブックになったりもする。
◆これまでの思いつきメモの2016年一年間の中からいくつかの雑記をピックアップしてみた。自分自身の“今”を、思考の流れを辿って俯瞰してみるのも何かの発見になるような気がする。



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今年は年頭に「運気について」の暗示的な初夢をみました。
そこで運気についての考察を私的な覚書きとして記述しておきます。


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[運気の考察]


  • 運不運というものは気の流れのようなもので、宇宙空間の法則の基に在り続ける現象である。
  • 幸運も不運もひと所に留まるものではない。常に変化し、河流の泡のように生まれては消える自然現象である。 
  • 幸運であり続ける事も不運であり続ける事もない。延々と続くように思うのは人間の錯覚で、誤まった解釈が苦痛の根源となる。森羅万象不変なものは存在せず、それは運気に関しても同じである。

 


[運気との付き合い方]


  • 運気とは引き寄せたり切り離したりと、人が操作出来るものではない。その流れにどの様に対処して行くかが人として精一杯出来る範囲である。
  • 運気は向こうからやって来るものである。運気を迎え入れる態勢の無いところにはやって来る余地がない。
  • 幸運を持ち続けない事。これが運気を迎え入れる賢者の法則である。
    (古い革袋の酒を飲み干さない限り、新しい葡萄酒は注がれない)
  • 運不運に一喜一憂することは仕方がないが、そこにいつまでも留まっていてはいけない。幸福だからといって、いつまでも抱えていてもいけない。「手放すこと」が運気の新陳代謝を促し健全な循環を為す。
    (しかしエセ託言者の薦める、何かに対して貢ぐ行為は間違いです)

<平成28年 正月・記>


 


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般若心経は“言葉に出来ない悟りの世界を言葉で表わしている”らしい。だから普通に言葉で理解しようとしても困難なものなのだろう。


ある種の絵画も同じである。
目に見えない世界を絵に表わそうとしているのだから、それを美の観点やリアリティの視点からでは捉えにくいものである筈だ。ましてや社会的評価は別世界のもので、評価を求めるのならその様な絵を描いていてはいけない。



およそ全ての行為は留まることのないものと心得ている。
絵を描くという行為もまた然り。
これで完成というものは無い。便宜上、一旦筆を置くだけで慢心することなど無いだろう。


どこまでも描き直しを続ける…これが絵を描く道というものだろう。
人生に完成がない様に、絵を描くという行為にも終わりはない。


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何度も手直しをしては視点を変えて同じテーマを描こうとする。
そんな不器用な生き方も、あったっていいじゃないか。
それが正道だなんて大見栄切って言うつもりはない。
どこかに置き忘れて来た生き方を…
誰もが忘れ去った生き方を…
まだ繰り返している奴がいたっていいんじゃないか?


<2016年2月・記>



 「楢山節考」…かつて遥か昔の我が国には、姨捨山(おばすてやま)と呼ばれ伝えられて来た因習がありました。


 一見残酷の様ですが是非を問うより前に、老人を家族の一員として待遇・対処する姿勢がそこには見受けられます。
 社会的インフラも整備されていない時代ですから当然福祉政策のお世話になるなんて事は考えもしませんが、それでも老人を身内の一人として看取る覚悟(スタンス)はしっかりしていたように受け取れます。


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 ▲中野正・画「散りゆく花」/油彩(30号)


 高齢者の位置付けは国によって様々ですが、諸外国の多くは社会からリタイアした存在であるところが多いです。
 戦時中の国や、貧困に喘ぐ国家などでは兵士や労働力として駆り出されるところもありますが、政策の見地からは国勢に貢献するものとして組み入れないのが一般的なようです。
 しかし世界でも稀な高齢社会の日本では、まだまだ老人の力を必要としているため(特にその財力を…)やたらと社会貢献や社会進出に期待をかけようとしています。
 国家や地域に貢献する生き方はそれはそれで構わないのですが、その大義名目に便乗して都合よく人心をコントロールする巨悪に騙されない様にしたいと思うわけです。
 特に現代の若者たちにとっては未経験ゆえに想像することが難しい歴史の事実ですが、昭和初期に日本全国が不況の嵐に巻き込まれた時、新天地をめざして満州開拓を推奨されて出て行った農家の人たち。彼らは皆普通の善良な人々でしたが、時の権力に利用されて知らず知らずの内に“侵略と呼ばれる政策”に加担する事になって行った…例えばそんな事実がある訳です。


 社会にとって役に立つ存在であることは、恩恵も受ける代わりに貢献も求められます。
 役に立たない存在で生きてゆくことは社会の生み出す成果を蝕む存在として何の権利も与えられません。(そもそも人権も国民主権も権力によって与えられるもので自然発生するものではありませんが)


 社会に役立たなくては生きている権利がないとは、なんとこの世は棲みにくいものでしょう。
 一体この社会とは誰にとって何のための組織体なのか考えたことがあるでしょうか?よしんば、社会組織は私たちの暮らしに必要なものであるとして、それが望み通りに運営されているのでしょうか?
 ジョージ・オーウェルの寓話「アニマルファーム」の様に、まるで誰かに牛耳られるが如くに都合よく生かされているのかも知れない…なんて想像したりはしませんか?



 私は決してペシミスト・厭世主義というわけではありませんが、人間社会の集団的な性癖には閉口する事が多いです。
 高齢者が巨大な集団を形成する日本の未来社会では、高齢者の・高齢者による・高齢者のための不自由な世界が展開される事だろうと今の内から、社会との付き合い方を考えさせられてしまいます。
 人間は環境や教育によって形成されてゆく生きものなので、この国の民族文化的風土や戦後学校教育によって育った団塊老人がシェアを占める“社会の性格”をしっかりと把握して居たいと考えます。


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 ▲中野正・画「老人は何処へ」/油彩(50号)


<2016年3月・記>



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※平成22年・春、血糖値が異常に上がった私は糖尿病患者として2度目の入院を強いられた。
事の始まりは、3年ほど前の頚椎手術にさかのぼる。


 


頚椎後縦靱帯骨化症という難病指定の手術を受けた後、自宅でゆっくり療養している間に私の血糖値は上がっていったようだ。 
頚椎手術の為に削ぎ落とした首の筋肉を取り戻そうと肉食を積極的に取っていたのは間違いだったようだ。もともとメタボの傾向があった上に、運動もせずに寝ては食っての日々だったので血糖値は日増しに上がっていったのだろう。


 


それまで40代の頃の生活は、連日朝まで飲み明かしたり暴飲暴食の毎日だったが比較的タフだったのか全く体に支障はなく糖尿病などは考えたこともなかった。


 



 


糖尿病と診断されてから8年ほどが過ぎようとしている。
初めはピンとこなかったが、時間が経つにつれて「厄介なものになったなぁ」という気がしてきた。
何が厄介なのかと言えば、いつも自分が糖尿を抱えているという事を意識していなければならないからだ。
無頓着に横着に生活するわけにはいかない。普段は自覚症状の少ない病気だから、食事制限もついつい忘れてしまう。(カロリー計算をきちんとして血糖値の適正数値を心配している人も多くいるが、私は自分の感覚で独自の考えで調整しているので、他人にお勧めは出来ませんが…)
本当はそんな事にとらわれず気にせず生活していたいのだが、そんな態度は症状を悪化させる原因なので厳禁なのだ。


 


そうこうしている内に今度は「前立腺ガン」が発見された。
これまでの経験から、「病気を克服するには、その病を見据える・受け入れる・付き合う」というのが私の考え方でもあるので、糖尿病、前立腺癌の生活を綴ってゆくことは認識を新たにする克服の一環と捉えて綴り始める事にした。


 


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血糖値の異常な上がりように2度目の入院・集中治療を強いられた時には、背負ってしまった症状の重さと逃れられない覚悟を本当に自覚させられた。


それから6年近くが過ぎた現在、糖尿病はどの様な状態で治まっているのかと言うと、相変わらず一進一退を続けている。
指先が痺れた様な感覚が1年ほど前から始まった。時折りそんな感じはあっても常にというわけでは無かったのが慢性的になってきたので、さらに進行したのかな…などと思ったりする。


糖尿に関しては「とにかく合併症を引き起こさない様に注意する事」としている。全快しようなんて思わない何事も完璧をめざさないような生き方を悟らされた。
勿論さじを投げているというのとは意味が違うが、逃げない姿勢という感じで背負うしかない。
例えば味気ない食事療法を実践しようというのなら、その食事が大好物になるように意識を変える、それが私流の対処法だ。


…とか何とか言っている内に、今度はなんと前立腺ガンの宣告を受けてしまった。
「オレの体は病気のデパートか?」なんて冗談を言えている内は良いのだが、前立腺肥大で苦しんでいる上に経済的にも高額なホルモン注射を続ける生活が始まると思うと…
まるでキリストが十字架の上で神に問うた心境だ。「主よ、貴方はまだ私に試練を与えようとされるのか?!」
善循環・悪循環という言葉があるが、悪い時には悪い事がかさなるものだ。
まあ、艱難汝を玉にするという言葉もあるので、これはこれで何かの役には立つのだろうと気持ちを切り替えるしかないのである。


そういった訳で、様々な課題を与えられるのは「生き抜くことのトレーニング」なのだと思う事にした。ひとつクリアすれば、ひとつアイテムをゲットして確実に強くなる…そんなものなのだ。


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<2016年3月・記>



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A4サイズで仕上げる「いちまい絵本」は自分の世界をコンパクトにまとめた一種のコンセプトアートのようにも思えます。


バラバラに描いた自分の世界をまとめる事によって、そこに何らかのテーマ性が在ることを発見します。
そして時には俯瞰する事で、“別の視点”からこれまでの自分を見ることに気づいたりもします。


バラバラな場面を手づくりで編集してゆく絵本制作は自分自身に問いかける「ひとりワークショップ」のようです。


☆ 


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すでに描き上げたバラバラなカットの編集で作り上げる方法のほかにも別の方法があります。


例えば、Q&A形式で「私のやり残しているものは?」「私の恐れているものは?」といった感じの自問自答を重ねて、自分の内面を綴る“ワークシート”のつもりで描き上げれば、自分を取り巻く世界の探究にもなっていて面白い発見があったりもします。



まだまだ技術的にも未熟で偉そうなことは語れませんが、ブラッシュアップして価値あるコンテンツのひとつにしてゆきたいと考えています。



<2016年6月・記>



'72年・初夏。私は迷いながらヒッチハイクを続けていた。
「アルバイト先を見つけてこの先もヨーロッパでの放浪生活を続けるのか?」それとも「当初の目的は果たせなかったが、見切りをつけて帰国して日本のデザイン学校に入って勉強をするのか?」
そういった自問自答を続けながら、スイスからドイツを経て北欧に向かってのヒッチハイクの日々だった。


北アフリカ・アラブ諸国でのヒッチハイクやスペインやオランダでのドラッグ体験という、シッチャカメッチャカ体験はして来たものの、まだ日本を出てから一年余りの新参者だった私はまだまだ海外生活の経験も乏しく、とてもこんな中途半端な状態で帰国する気にもなれなかった。
デンマークやノルウェーなど北欧のユースホステルに働き口の打診をしながら(当時はメールなど無かったから郵送で、返信は先に滞在予定のユースホステル宛てにしていた)、パンと牛乳の食事でお金を切り詰めながら文字通りの貧乏旅行で、豊かな気分で観光など出来る余裕はなかった。


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 ▲スイス・チューリッヒの風景 (絵葉書より) 


そんな時に起こったのが『テルアビブ事件』だった。
日本赤軍の一人、岡本公三によるイスラエル・テルアビブ空港での無差別乱射事件。日本人が外国で起こした最大級のテロ事件としてその反響は海外に暮らす同胞にとっては大変なものだった。
背中にリュックを担いで薄汚いジーンズに無精ヒゲの様相で放浪している私などは最も怪しまれる対象で、これまでヒッチハイク中に一度も無かった国境での厳しいチェックを初めて受けるようなこともあった。
この2ヵ月ほど前はアラブ諸国をヒッチしていてパスポートには入国ビザの印があったから余計に疑われたのかも知れない。リュックの中の下着から胃腸薬の類いまで全部放り出して調べられた。
(※余談だが医薬品に関して、後に北欧に暮らしていた時に風邪薬を他の荷物と一緒に梱包して日本から送ってもらった際、税関の許可証が添付されていなかったために薬物違法持ち込みに引っかかって全部捨てさせられた事があった)


以前に真夜中のヒッチハイクで、ワーゲンのボックス車にイタリア、フランス、アメリカのハイカー達が乗り込んで国境を越えたことがあった。国境の警備員が自動小銃を構える中を国際色豊かな面々が通過する様はまるでスパイ大作戦のドラマのようなスリルがあったが(別に何も悪い事をしていないのだけど…)今回は実際に起きた乱射テロ事件の後だったので緊張感は全く違っていた。


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 ▲ドイツ・ケルンの風景 (絵葉書より) 


この頃、日本では「よど号ハイジャック事件」に次ぎ「あさま山荘事件」など日本赤軍による破壊活動が頻繁に起こり、国家公安はかつての東大紛争や70年安保などに関わった学生運動家リストをもとに不審者をしらみつぶしに探していた。
そんな状況の中で、高校を退学して海外を放浪している私などは当時としては珍しい部類らしく、どうやら何らかの形でマークされていたらしい。


後日、親から聞いた話によると、突然に警視庁公安から二人の刑事がやってきて色々と聴収して行ったらしい。
「息子さんは今どこにいるのですか?」「政治的な信条は?何か活動をしていませんか?」「海外では何をしているのですか?」といった事を細かく聞かれて、身がすくむ思いだったと言っていた。
それは確かにそうでしょうね。子どもが海外に居て、今何処で何をしているのかもさっぱり分からないのに、テロ事件の参考人であるかのようにわざわざ警視庁からやって来て質問攻めをするのですから、たまったもんじゃありません(笑)
私はこの頃から自分の個人データは完全に国家に掌握されていると自覚しました。40年以上も前の話しです。



 


さて、本当なら海外で働きながらデザイン学校に通学して、今風に言うならグローバルなキャリアを磨いて凱旋帰国する筈が…いつの間にか日々の飯にも困る放浪のボヘミアンになってしまった。
でも正直言って心の奥底では、こんな生き方をしてみる事に少しの好奇心のあったことも確かだった。
国を発つ時に友人たちから「大学進学も棒に振って何でわざわざそんな苦境に向かうのか?」と嘲笑まじりの言葉を受けたものだったが、還暦も過ぎた今確信できることは“これが私の生き方だったのだ”ということだろうか。
何はともあれ、私の1972年は異国で職を求めてひたすら北に向かう青春の日々だった。


<2016年7月・記>



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[木洩れ日の旅人(習作)]


美しい風景は人に勇気や希望を与えてくれる。不安におののき恐れに震えていても、美しい風景に出会ったとき人はこの世界が共に生きていることに感謝する。
そんな風景に出会いたくて、人はさすらい続けるのかも知れない。



もう30年以上も前のスケッチだが、こんなイメージを描いていた。この頃はかなり落ちこぼれた貧困生活をしながらも、印象派の画家たちの魂に触れながら青春を謳歌していたように覚えている。
そんな私の心象風景は「陽だまり」や「木洩れ日」といった形で表わされていたようだ。


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[木洩れ日の道/1978]


 


<2016年8月・記>



気になった発見があったのでメモすることにした。


オランダのデザイナーによる『老人ホームのドア』のデザイン。
画一的で殺風景な施設のドアを個性を尊重した思いのあるデザインに変えた実例。
ここには認知症老人の個性を尊重する重要なヒントがあると思った。


まずは、紹介されているサイトをご覧ください。


 http://tabi-labo.com/279173/truedoors



私が感心したのは、老人個人の持っている記憶の中からデザインモチーフを引き出している事。
一人一人違うドアのデザインを“思い出の宝庫~アイデンティティ”として捉えている事です。
?


これには軽いカルチャーショックを受けました。
そんな視点があったんだ!


『認知症を患ったおじいちゃん、おばあちゃんたちのドアが以前、自分たちの住んでいた家とそっくりのものに変わる。すると、彼らは昔の想いで話を楽しそうに語り始めるんだそう。
心に大切に留めておいた記憶のドアを開ける手伝いも、もしかしたら、この生まれ変わったドアが担っているのかもしれない。』(true door_アートプロジェクトより)



こういったアイデアや事例を見るたびに私は“世界はまだまだ可能性を秘めている”と感じます。
私たちの思いや能力が至らないだけであって、『世の中を良くする発想のきっかけ』というものはいたる所にあるようです。
そのためには私たちがもっと自由に思いを馳せるようになることが大切なんでしょうね。


 


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 ↑ 「true doors」Web サイトより転載[レジスタードトレードマーク]


<2016年11月・記>



考えてみれば、この世界や宇宙のすべては不思議な事ばかりで、それらの殆どを解明しないままに人は自分の一生を終えてしまいます。
結局何も分からないままにこの世から去って行ってしまうという事です。


でもそれでいいんです。生きている間は人には探究心というものがあり真相を知りたいと渇望するのが自然の姿なんですが、全体像を把握できずに死んでしまうというのも今生の必然なのでしょう。


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以前に“病を抱えた身の振り方”として「気」をとらえる生き方の話をしましたが、私は「気」という言葉を「魂」の別称という感覚で使っています。
「魂」は本来エネルギーから成り立っている命の源の一部なのでしょうけれど、その魂の存在を認識・意識するものとして「気」の存在を認めているからです。


人の体を肉体と魂の連携(コラボレーション)と捉えるならば、病を持つ肉体の治癒と共に必要なのが魂の治癒でもあると思うのです。そしてその魂の治癒には「気を入れる」という要素が効果的と考えます。
私は合気道の修練を通して「気」というものが目には見えないけれど様々な効果を生む場面を実感してきました。


合気道の基本は円の動き・円運動にあります。円は丸くて角がありません。円運動の特徴はぶつかり合う直線的な運動とは異なり、全てを巻き込む動きでもあります。
宇宙自体が直線的な構造ではなく球体に近いイメージであるなら、そこに存在する私たちはもっと“円形や球体的な生き方”を洞察することの方がより実態に近づけるかも知れません。


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<※余談追記>
年を越えればいよいよ前立腺ガンの手術です。年末に数回病院を訪れて今後の予定を打ち合わせしました。
病を抱えて暮らす人の事を思えば、手術で摘出できる私の様な者は幸いです。経済的には苦しめられますが、経済的な苦しみというものはある部分で自分のわがままやエゴが反映している事もあるのでその気になれば乗り越えられるものです。
丸く丸く円のイメージで立ち回れば、意外と衝突もなく時間の流れと共にやりすごせる事があります。
 


 


『悩みの世界に立ち止まらないこと』
『周りに取り囲まれずに自分が取り囲むこと』
そうすれば私もガン手術から無事に戻って来れることでしょう。


<2016年12月・記>



 


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