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私流カミングアウト(6)~自己形成の遍歴1 [随想随筆]

 自分の身辺事情をストレートに告白するという意味合いで“カミングアウト”というようなタイトルをつけてみたが、これは俗に言う“赤裸々な懺悔録”という趣向のものではない。
自身のこれまの生き方を直截に判断しようとするとどうしても話が回顧的な内容でカビ臭くなってしまうというものだが、未来に向かって建設的でも前向きでもない告白をそろそろ終焉が見えかけてきた人生を総括するという意味で書き出している。
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私たちが語り得るものは実は自分の経験を通したものでしかない様に思う。経験を通したものでこそ単なる言葉遊びに終わらない生命の宿る語り草となるのだろう。(言い回しがやや皮肉な感じですね…苦笑)経験を通じて変遷してきた自己形成の歴史はこの世界でのリアルな自分史とも云えるだろう。敢えてカミングアウト的要素を覚悟しながら自己変遷を辿ってみる事はある意味で他人の物語を読んでいるより“事実は小説より奇なり”で面白いと発見することもある。

人間形成の変遷の始まりはやはり原風景からだろう。現在の価値観に慣らされている私では当時の正確な感覚が忘れ去られているだろうが、それでも簡単に言ってしまえば不幸だった感覚は無く今から振り返れば幸せな感覚が残っている。
幼児期には絵本や赤本と呼ばれる漫画を与えられたりして周りの子供たちより感性の目覚めが早い方だった様に思う。一番上の姉とは14歳ほど離れていて、物心がついた頃には女優志望で上京していてたまに帰って来ると都会の香りを運んで来てくれる事が、私が早熟に育った理由でもありそうだ。

赤本「顔」.jpg 貸本 影_1806.jpg

私の父親は芸事が大好きで、若かった頃は脚本家になりたいと思った事もあったらしく芝居や映画もよく観ていた人だった。それで私は映画館によく連れて行かれて邦画だけではなく幼い頃から洋画もたくさん観て育ってきた。
本を読んで絵を描いて映画や劇場に足を運んでの生活環境が私の情操を育んだのだろう、比較的感受性豊かに過ごした幼児期だった様に思える。漫画や映画の空想世界が日常的だったためか、私の心の奥底には楽観的な夢想の世界が根付いている様だ。貧困とか抑圧とか数々の屈辱もひと通り味わってきた割にはあまり悲壮感がないらしく他人から見れば甘く生きてきた様に思われる事が多かった。そんな見られ方を自己嫌悪した若い時代もあったが中年になった頃には逆に両親から受けた資質を良い意味で認められるようになったのだった。心理学的に云う“自己承認”というものですね。

無邪気な子供の時代から少しずつ社会の空気に染まりながら、多感な青春の時代に入ると反骨心が目覚めてきた。これまでは漫画の空想世界のヒーローたちが精神形成の一端を担ってきたが、これからはプロテスタント・ソングやプログレッシブ・アートといった現実のオピニオン・リーダーたちの生き様が影響を与えるようになってきた。この辺りの時代から現実の社会に対して足を踏み出すようになり、時代の洗礼を受けながら成長するようになって来る。

<自己形成の遍歴2に続く> 


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