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漫描雑譚/貸本屋時代 [ギャラリー]

自己の文化面を形成したルーツを辿れば、原風景として映画館と貸本屋が浮かび上がってくる。どちらも私の人生や性格形成に大いに影響を与えていると思える。映画館は地方都市において数少ない貴重な娯楽で、両親は幼い私を夜の9時過ぎから始まる「ナイトショー」と呼ばれる割安時間帯によく連れて行ってくれたものだ。年の離れた姉が大映映画の大部屋女優だった事もあり何かと芸能界には興味のある家庭環境だった。
そして情操教育を担ったもう一方として貸本屋の影響も大きかった。運良く近所に貸本屋が二軒もあって、学校から帰ると毎日のように小銭を握りしめて通った事を思い出す。小学校に行くようになってから親の買い与えてくれる漫画では飽き足らなくなって、自分で貸本屋に出掛けるようになりそこで見つけたのが普段目にする雑誌漫画とは異なった「劇画」という世界だった。

貸本「影」.jpg

現在でもコミックのレンタルはあるけれど時代の様相が違っていて、当時は乏しい娯楽の中の少ない選択肢のひとつとして、特に子供たちにとっては貴重な存在だった。そして子供が背伸びして大人の世界らしきものを覗き見る、妖しくもスリリングな場所でもあったようだ。
学校を終えて外から遊んで帰って来ると、テレビを見るか貸本屋に足を延ばすのが日課になっていた。馴染みの貸本屋には「少年クラブ」「冒険王」「ぼくら」といった一般的な月刊誌も置かれていたが、書店では見られない様なボール紙製ハードカバーの単行本が私のご贔屓だった。一世代前の赤本と呼ばれた祭りや夜店で路地に並べて売られていた粗末な漫画本から少し発展した程度の冊子だったが、それでも内容的には“輝く時代”を反映していたものだった。
今の私たち世代が(比較的に)根本的に世間に対して絶望視しないのは、子どもの頃に培った泥にまみれたバイタリティのような感性があるからかも知れないと思うようになった。その原風景として私は個人的過ぎるかも知れないが、妖しく危なげな環境との同居が大きな要素だった様に思える。貸本屋という独自の閉鎖空間で提供されるアウトロー的な文化は子ども達に必要な反骨と自立心を育む栄養素だった。

貸本マンガ大全集.jpg

カギっ子(両親が共稼ぎで家に帰ると鍵がかかっているのでそう呼ばれていた。「現代っ子」と並んで当時は流行語にもなっていた)だった私は、家に帰ると机に置かれた十円玉が3枚の小遣い30円を持って貸本屋に直行した。雑誌一冊が5円、単行本が10円で二冊くらい借りてくるのが通常だった。残りの小遣いは帰り道に駄菓子を買うためのもので、家に着くと菓子を食べながらテレビのチャンネルをひねる。お昼の3時~4時頃によく見ていたのは色っぽい三ツ矢歌子の出演していた新東宝の映画だったり、榎本健一「エノケンのとび助冒険旅行」伴淳三郎「名探偵アジャパー氏」といった喜劇だった。
テレビが終わるといよいよ借りてきた本をみるのだが、このテレビ映画を見た後に貸本劇画の世界にひたる至福の時間がたまらなく私の情操を豊かにしたようだ(笑)

劇画_台風五郎.jpg

学校の図書館とは勿論まったく違う世界なのだが、児童書とは異なった妖しげな劇画の世界に触れる貸本屋というスペースに匹敵するものが今の子供たちの世界にはあるのだろうか?それはある意味で雑菌の入り混じった混沌の世界かも知れないが間違いなく現実に存在する“生きる命のある世界”なのだ。
かつての貸本とその時代を振り返った時、懐かしさと共に幼かった時代に享受した娯楽に照れながらも感謝してしまう。

 

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漫描雑譚/大人の漫画 [ギャラリー]

当たり前の事なのだが、世の中の暮らし風俗のすべては移り変わって当初の意味合いも風化してゆくものだ。「青春」という言葉のニュアンスさえ現代では移り変わっているのだろう。追いかけてみても無駄な事なのだが、過ぎ去った日々の中に何か大切なものを置き忘れて来たような気になる事がある。それはたぶん間違いなく大切なものなのだが、だからと言って取り返しに戻る訳にはいかない。大切なものだった事に気づいたことが“よく生きた”という証明なのだろう。

幼児期を思い起こしてみれば私の周囲の子供たちは今よりもませていたように思う。「おマセ」という言葉が流行っていたように、大人びた子どもが多かった。大人びたと言うよりは大人に近づこうと背伸びしている子供たちだったように思える。
生活の中の娯楽として漫画とテレビがあり、技術上の未熟さはあっても内容的には決して幼稚ではなかったように覚えている。無邪気ではあったが幼稚ではなかった、こういったコンテンツのあった事が今の若者たちに通じるだろうか?

大人の漫画.jpg

小学校が午前中に終わった日は急いで家に帰ってテレビの昼番組「お笑いタッグマッチ」や「おとなの漫画」を見ていた。まだワイドショーなどが始まる前の時代で、知らず知らずの内に時事問題に接するのはこういった番組があったからだ。
そしてその延長として、普段は少年雑誌の漫画を読んでいる私も時には父親の読み捨てた「漫画読本」を読むことがあった。

中曽根康弘まんが.jpg

そこにはいつもの雑誌漫画とは違った大人の世界の主人公がいた。「フクちゃん」や「おトラさん」「ベビーギャング」といった大人たちの間での人気キャラクターが新鮮に思えたものだ。
ちなみに「おトラさん」は柳家金語楼の当たり役で映画化もされている。

昭和40年代にはアニメにもなってお茶の間の子供たちの人気キャラとなった「サザエさん」も元はと言えば朝日新聞連載の大人向け四コマ漫画で、単行本は貸本屋に並んでいてよく見かけたものだった。

よく考えてみれば、漫画というものは大人たちの間で広まったものだった。江戸時代の「北斎漫画」もあれば、平安時代の「鳥類戯画」は日本の漫画のルーツとも言われている。
「遊びをせんとや生まれけむ」大人こそ戯れの中に真の姿を取り戻すのかも知れない。イギリスやフランスなどでも海外の漫画の多くは大人の人々を読者として想定しているものが多かった。だからフランスのバンド・デシネ(漫画)で有名なメビウス氏(本名:ジャン・ジロー)はアーチストとして認められている。遠藤周作まんが.jpg

大人の漫画という観点からみれば、日本の漫画は独自の発展を遂げて来た。それは日本古来から伝わる日本人の芸術性なのだろう。漢字から発展させてひらがなを生み出してきた技巧的な加工能力は衣食住すべての面で発揮されている。海外から輸入されたものを日本人向けにマッチさせる工夫はずば抜けている様に思う。

話しを大人漫画に戻すと、私が多感な少年だった’60年代は青年漫画が台頭し始めた頃だったが大人漫画もまだ健在の時代だった。小島 功「仙人部落」、富永一郎「チンコロ姉ちゃん」、杉浦幸雄「アトミックのおぼん」etc.

そんな大人漫画の時代だったからこそ『漫画読本』には有名著名人の描いた珍しい作品も残っている。
今では日本政界のドンとなった中曽根康弘氏が総理大臣になる以前の国会議員だった時代に描いた『現代の怪獣 キング・ドゴール』
タカ派で知られていた彼の面目躍如の一枚だ。

「沈黙」の著者で仲代達矢まんが.jpgもある作家・遠藤周作氏はさすがひねりを効かしてウィットに富んだモチーフとタッチで『いじわるなデート』という作品を掲載していた。
クリスチャンでもあり真摯なテーマを小説にしていた彼も、漫画では衣を脱いでくつろいだテイストで取り組んだようだった。


俳優・仲代達矢氏の作品『深夜営業禁止』は全体に何となく彼の生真面目さがうかがえる様に思うのだがどうだろう。
漫画と言えども手を抜かずに一生懸命描いている姿を想像してしまう作品だ。表面には出ていないが社会正義を信条とする彼の生き方の一部を垣間見る気がする。

今ではすっかり忘れ去られている様子の“大人の漫画”というジャンルだが、ユーモアを理解する大人のセンス・バロメーターとして本来ならもう少し受け入れられていても良さそうなものだと思う。


漫画読本.jpg


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漫描雑譚/カックン親父と爆笑ブック [ギャラリー]

昭和三十年代、全国的に貸本屋が流行っていた時期があった。団塊の世代と呼ばれる層が小中学生だった頃の時代だ。当時の少年たちを夢中にさせていたものは月刊雑誌に連載されていた「少年ジェット」「まぼろし探偵」「七色仮面」等でTVでも実写で放映されていた。(ちなみに当時は娯楽もまだ男性主体の風潮で、少女たちの間でも人気の少女雑誌はあったがTV化されるものは少数だったように思われる。)

貸本屋に置かれている漫画の多くは「劇画」といわれる青年向けのもので、一般書店の少年向け雑誌とは一線を画していた。さいとうたかを、佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロといったアクション派や、いばら美喜、古賀新一、水木しげるの怪奇・怪談、そして小島剛夕、白土三平、平田弘史の時代劇画などひしめき合う競合の中でギャグ漫画として人気を誇っていたのが滝田ゆうの「カックン親父」だった。

爆笑ブック01.jpg

主に短編読み切りだった愉快な漫画を“ギャグ漫画”と呼ぶようになったのは赤塚不二夫の頃からで、それ以前は“ユーモア漫画”と呼ばれていて少年雑誌の分野では前谷惟光、山根赤鬼・青鬼、板井レンタローなどが活躍していた。その後トキワ荘グループの中から赤塚不二夫、藤子不二雄、石森章太郎たちがメジャー雑誌界を席巻するようになるが、貸本の世界では『オッス!』の水島新司(後に「ドカベン」「野球狂の詩」など野球漫画で一世を風靡するが当初は関西お笑い漫画の人気作家だった)そして『爆笑ブック』で連載していた滝田ゆうといった面々が活躍していた。
私はその中で何といっても滝田ゆうの「カックン親父」が忘れられない。子供ながらにもカックン親父の軽妙なユーモアが大好きで、当時ファンだったクレイジーキャッツの笑いとシンクロするところがあった。笑いのツボがTV的でその画風や動作の描写は天才的だと思っていたが、数年後にメジャー雑誌に登場するや否や「寺島町奇譚」を発表して押しも押されもせぬ“人情漫画の雄”となった。

カックン親父_B.jpgカックン親父_2頁.jpg

貸本時代の名作の復刻を願っている私の推薦版のひとつに、この「カックン親父」は欠かせないユーモア漫画の秀作である。まさに今の時代にはもう見ることも出来ないであろう昭和の匂いのする逸品と言える。

 

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漫描雑譚/鉄人アトムの話 [ギャラリー]

鉄人アトム予告C.jpg

鉄人アトム予告D.jpg

雑誌『少年』で連載を始める前の予告ではタイトルが「鉄人アトム」という構想だったんですね。連載スタートは昭和27年でしたが、実はその一年前に「アトム大使」というタイトルで連載をしていてロボットのアトムはわき役で登場していたのが始まりです。

アトム大使_01.jpg

元々は手塚治虫の鉄腕アトムに対する思い入れはそれほどでも無くってTVアニメ化する時も「ジャングル大帝」レオの方がやりたかったらしいです。アトムにはもっと社会批判やメッセージ性を込めたかったけれど、アイドル的なキャラクターとして別モノになってしまった事が意欲を衰えさせたようです。何かの対談で“ワースト作品”として鉄腕アトムを挙げていたのを読んだ覚えがあります。
当初はアトムを地球人と宇宙人との橋渡し的な大使にしたかったものが、いつの間にか愛されるキャラクターとして地球を守る“正義の力”的存在になっていった事は不本意だったのでしょう。


昨今のスピンオフ-ブームに乗って「アトム ザ・ビギニング」が登場しました。とても面白い発想として評価は出来ますが、ある意味で本来の鉄腕アトムのコンセプトとは大きく変わってゆくでしょう。こうやって歴史というものは変色してゆくのでしょうね。
これまでも様々な名作と言われる作品群がそれ以後の時代の評価によって作者のモチーフとは別解釈されて伝わっていきましたが、それこそが時代を越えて生き続けてゆく“名作の宿命”なのでしょう。


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『プログラミン』の投稿実験 [ギャラリー]

2020年から小中学校で導入されると言われているプログラミング教育。
21世紀の子ども達の必須項目として注目されています。
私も少しばかりかじってみようと文部科学省が運営する『プログラミン』サイトに登録しています。

このサイトは文部科学省が広く一般に啓蒙するための体験用ウェブアプリケーションで、自分のパソコンからアクセスしてお絵描きやゲームをしながらプログラミングの基本が学べ実感する事が出来ます。



とりあえず無理せずに出来る範囲での習作をアップしておいて、もう少し慣れてくれば音などを入れたものを後日更新のテストも兼ねてやってみようと思います。



昨年に大きな転換期のようなものがあり、年が明けた現在でもまだ空白状態が続いている感じで、年が明けてもしばらくブログの更新もしていませんでした。
ブログ以外にもあまり積極的な行動をしていなかったのは、当面の日課が病院通いで忙しかったせいもあります。

2月中旬に手術が決定して、そのための準備検査が続いています。年が明けてからすでに2回、脳MRIと眼底検査を行いました。
今回のロボット手術という選択は総合的には一番リスクの少ない方法だという事で決めたのですが、唯一の問題点としては、身体を逆さにして施術するためにそれに耐えられる肉体的機能を検査されるというわけです。
次回の検査では前立腺MRIということで造影剤を注入して癌の進行具合を調べるそうです。現在得られている画像データが半年ほど前のものなので、手術直前の状態を見ておくためなのでしょうね。

病院パンフ.jpg

これまでの掛かり付け病院の紹介を受けて、近くでロボット手術の出来る病院として大学の附属病院を選んだのですが、初めて受診する病院なのでなかなか勝手が分からず院内では苦労しています。
IT管理された現代的なシステムなのですが、窓口には勝手が分からず戸惑っている高齢者が結構いるように見受けられます。


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平成29年 正月 [ギャラリー]

 

新年あけましておめでとうございます。

いい事ばかりではないだろうけれど、決してクサらず希望を持って
これまでとはひと味違う一年にしたいですね。

やりたい事をひとつでもふたつでも実現させられますように…

瀬田川の陽.jpg

 


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個人的な記憶をデザインに生かす事の必要性 [ギャラリー]

気になった発見があったのでメモすることにした。

オランダのデザイナーによる『老人ホームのドア』のデザイン。
画一的で殺風景な施設のドアを個性を尊重した思いのあるデザインに変えた実例。
ここには認知症老人の個性を尊重する重要なヒントがあると思った。

まずは、紹介されているサイトをご覧ください。

 http://tabi-labo.com/279173/truedoors

私が感心したのは、老人個人の持っている記憶の中からデザインモチーフを引き出している事。
一人一人違うドアのデザインを“思い出の宝庫~アイデンティティ”として捉えている事です。
?

これには軽いカルチャーショックを受けました。
そんな視点があったんだ!

『認知症を患ったおじいちゃん、おばあちゃんたちのドアが以前、自分たちの住んでいた家とそっくりのものに変わる。すると、彼らは昔の想いで話を楽しそうに語り始めるんだそう。
心に大切に留めておいた記憶のドアを開ける手伝いも、もしかしたら、この生まれ変わったドアが担っているのかもしれない。』(true door_アートプロジェクトより)

こういったアイデアや事例を見るたびに私は“世界はまだまだ可能性を秘めている”と感じます。
私たちの思いや能力が至らないだけであって、『世の中を良くする発想のきっかけ』というものはいたる所にあるようです。
そのためには私たちがもっと自由に思いを馳せるようになることが大切なんでしょうね。

medium_DOOR.jpg
 ↑ 「true doors」Web サイトより転載[レジスタードトレードマーク]

 


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『プログラミン』を楽しむ [ギャラリー]

以前に紹介した文部科学省推奨の『プログラミン』を少し練習してみました。
2020年から小中学校の必修科目になるという事で、孫たちに尋ねられたら困るので少しばかりマスターしておこうという心づもりもあります。

 ※「プログラミングが小学校の教科になる」(平成28年8月2日・記) 

初回にログインして登録しておくとそれ以後は立ち上げただけでスイスイ操作できるので面倒くささが無くって快適です。
やはりテキストがあった方が分かりやすいけれど、購入してから途中で飽きると無駄になるので当分の間は図書館から借りて来ています。(『Scratch』の方は世界的なトレンドなので購入しましたが)

ちょっと手の込んだことをしようとすると下図のようにたくさんのプログラムを組み立ててゆくことになります。テキスト形式のコマンドではないのでその辺が視覚的で分かりやすいけれどチョット目障りでもあります。

プログラミン試作2.jpg 

キャラクターを選んで下の欄からプログラムを選んで加えてゆく、作業としてはそれだけの単純なものなので、あとは個人の創意工夫でバリエーションが作れます。

以下にとりあえず動かしてみたテスト作品をアップしておきます。
テキストを参考にすれば試行錯誤しながらも15分足らずで出来ました。

 

前に紹介した文部科学省の『プログラミン』サイトでは使い方を動画で分かりやすく説明しています。
かつて流行ったお絵描きサイトみたいな感覚で気楽にアニメーションをつくりながらプログラミングの基本的な仕組みがマスター出来ます。

将来の子ども達はPCに追従するのではなくて、自主的にアプリを作り上げてゆくのでしょうね。
それでこそようやくメディアや情報に縛られない主体的生活が出来るようになるのかも知れません。

 


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頑張ろう! [ギャラリー]

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これは遥か30年も昔の物語。
童心ワールドを駆け巡る乗り物に「ガンバロー号」というのがありまして…

GANBARO-01.jpg

乗務員たちは「ガンバロー T-シャツ」を着用して
異次元ツアーを日々楽しんでおりました。

T-shirts.jpg

そんでもって、ある日旅立った先は
「スイーツ・ランド」なんていう甘ったる~い国。

sweets-land.jpg

その後も、様々な国を旅したガンバロー号は、旅のフィナーレに、幸せが満ちていると言われている「雲の国」をめざしました。

pb-W_02.jpg

▲今回の“即席ストーリー”はガンバロー号を紹介するためのモノで…本来のオリジナルは全く違うお話です。^^) 

☆2011年7月18日/記 

【ガンバロー号】


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雲の上のアルバム [ギャラリー]

すでにこの世から いなくなった人たち

時には偲びの雨粒となって
時には憂いの吐息となって

いまでも地上に 舞い降りる

retoro_home2.jpg

肉体は塵となって 大気に消え去り
魂はエナジーの粒となって 宇宙に帰依されていった

それでも私は知っている
雲の上のアルバムに あなたたちの命の記憶があるという事を

   ☆☆☆

☆2010年11月26日/記 


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離島の母 [ギャラリー]

本土から数十キロ離れた離島にその母は暮らしていた。
たいして大きくもない島は二、三時間で周りをひと巡りしてしまう。
時には嵐の中にさらされながらも本土から離れて島は生き続けてきた。

島に生まれたその母は
島で育ち、島で出会い、そして島で恋をした。
家族ができて生まれた子供たちはいつしか大きく育っていった。

子供たちは島の向こうに夢を見ていた。
そしてある日、離島の母に別れを告げて自分の人生を歩んでいった。

本土からはるか離れた島の中で
時には嵐にさらされながらも夫と二人で島に暮らし
その母は八十年の自分の人生を精一杯に生き抜いた。

彼女が戯れ、恋をし、暮らし続けてきた道程の
島の路地裏にある石段は今でも朽ちずに生きている。

ishidan.jpg

<石段をクリックしてください>

☆2012年9月9日/記


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EU諸国のユースホステルを巡って [ギャラリー]

amster_YH.jpg zurich_YH.jpg
▲アムステルダムYH          ▲チューリッヒYH

古い話になるが、若い頃にヨーロッパ各国のユースホステルを泊まり歩いていた時期があった。
気が向くと長期滞在をしたり、現地アルバイトで働いたりという自由気ままな旅だったから、世界中からユースホステルに集まる同世代の若者たちと交流して各国のリアルな感覚を吸収できたことも大きな収穫だった。

長い時間が過ぎて、かつて泊まったホステルをネットで久しぶりに見てみたら、まだ建物もほとんど変わらず健在で驚いてしまった。さすがヨーロッパの国々はモノや伝統を大切に受け継ぐところだと感心する。

ユースガイドブック.jpg ←当時、私の指針となってくれたガイドブック

思い返してみれば様々な事柄が今とは違っていた。
よく『時代は変わっても人の気持ちは変わらない』などと言うが、人間的資質は気づかぬ内に変わってしまっているようにも思える。
当時は国家や社会からドロップアウトをして地球をさまよい歩くということに、新世界を開拓するようなフロンティア精神というか冒険的意義が感じられた時代だった。

helsinki_YH.jpg stock_YH.jpg
▲ヘルシンキYH             ▲ストックホルムYH

世界を取り巻く状況はすっかり変わってしまっている。
インターネットやメディアの発達によって、居ながらにして情報収集や人々とのコンタクトが可能になった。いや、実際には正確に把握できる情報量や人々との距離はそれほど変わっていないのだが、仮想現実が発達して“さも分かっているかのような知っているかのような錯覚に充たされている”
だから相変わらず、一般大衆は情報操作されやすくもうひとつの“裏側の真実”には疎くなっているようにも思える。

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それぞれのお国柄でユースホステルの雰囲気や様相が違ってくるところが面白かった。

★ストックホルムでは「アウフ・チャップマン」という帆船を改良したホステルだったが、とても清潔で質素な感じの宿泊施設だった。全体的に自主性を重んじて、規則もゆるやかな北欧らしい自由な雰囲気が漂っていた。

★ミラノ(イタリア)のホステルはとても近代的な雰囲気で、ローマやナポリとはひと味違ったモダン・デザインの都市としてのプライドを感じた。

★フィレンツェのホステルはパテオがあってルネッサンス建築の香り漂うホステルだった。

★ドイツではリューベック、ハンブルグ、フランクフルト、ミュンヘンなど数多くのホステルに泊まったが、さすがに発祥の地だけあって、どこもが管理の行き届いたホスピタリティ精神を感じさせる。

★インスブルック(オーストリア)は登山客が多く利用するようで、バンガロー風のホステルだった。

★アムステルダムのユースホステルは私が泊まった数々のホステルの中では最高に自由で快適なホステルだった。フロントの前のロビーがゆったりしていてに各国の宿泊客と語らえる談話スペースになっている。更新の連続で、いつの間にか延べ一ヵ月近くも滞在してしまった。

★チューリッヒ(スイス)、ブリュッセル(ベルギー)、バルセロナ(スペイン)そして北欧ではオスロ、ヘルシンキ、ラーティ、バーサ、オーデンセ、コペンハーゲンなどなど、たくさんのホステルに忘れられない思い出が詰まっている。書き記してきた寄せ書きや落書きサインは今でも残っているだろうか?

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▲フランクフルトYH            ▲フィレンツェYH

最近のユースホステル事情はどうなっているのだろう?旅行代理店が予約も取ってくれるようだったり、ファミリーで宿泊できるものもあるようだ。
かつての私たちのような貧乏旅行者は減っているだろうし、旅の形式や旅に求めるもの自体が変わっているのだからホステルのスタイルも変わってゆくのだろう。

旅は人生であり、人生とは旅のようなものである。どのような旅をして何を発見するのか?それは人の一生の生き方にも似ている。
私が辿るのは風の吹く草原なのか、それとも光流れる虹の彼方なのか…。旅の本当の楽しみは目的地に辿り着くことよりも、その道すがら…過程にあるように思える。

☆2012年11月8日/記


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2015年_歳の初め [ギャラリー]

今年は取り組みたいテーマが明確にあるので、とても清々しい気分で久しぶりに胸躍る新年を迎えられました。 

毎年恒例となっている神宮への年越し参拝。
何度か仕事などの都合で訪れなかった年もあったけれど、数えてみれば三十余年ほど年越し参拝は続いています。
沿道の店舗は大晦日終夜営業で賑わっていて、この非日常の風景が好きです。

外宮参道.jpg 

敷地に入ると火を燃やしているところに人が集まっています。
「どんど火」と呼ばれていて、炎を浴びることによって風邪に負けない強い体をつくれるらしいです。 

 
 ▲外宮参拝の入り口

境内に入り砂利を踏みしめる音を聞きながら歩いていると、何とも言えない引き締まった感覚を覚えます。この不思議な心地よい緊張感が好きです。

鳥居.jpg

本殿に向かって幾つもの鳥居をくぐり抜けていると、神域の空気が身にまとわります。

異空間へ.jpg 

san-pai.jpg
                                                         (平成23年大晦日撮影)

本殿は一般の写真撮影が御法度なので、写真は撮らずに帰ってきました。
帰り道に今年も恒例の「お札」と「お守り」を買って家路につきました。

 

 


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三つのテーマ、三つの取り組み [ギャラリー]

「3」という数字が私にとってのConceptual_figure になりそうだ。

「3」という数字は、とても安定的で平和でサステナブルな解決策をもたらす数字のように思える。 
「三権分立」「三位一体」「第三の男」「三本柱の計(これは私のオリジナル:笑)」…そして不思議な事に三本柱の鳥居というものまであるらしい。 

大和町三柱鳥居.jpg
  <岐阜県郡上市大和町にある三本柱の鳥居>

これからの私は「3」という数字に少しばかりこだわって行こうと思っているのだが…。
現在も3つの取り組みを始めている。 

◆そのひとつ…円 蛇丸としての制作活動

蛇丸写真icon.jpg HEBIMARU-logo_typeA.jpg

     ↑ 「円 蛇丸」のパーソナルロゴ(未完)思案中 ↑

 

◆もうひとつは…「扶侶夢絵本」の世界観とその世界づくり

個人的な思い込みコンセプトから生まれた「扶侶夢絵本」はブランド名でもあります。
扶侶夢絵本の世界で繰り広げられる様々な事柄は“絵本の次元”というもうひとつの宇宙での出来事なのかも知れません。 

扶侶夢絵本OFFICE.jpg

 

◆そしてみっつめは…私説「三界書」の執筆開始

宮本武蔵は何故「五輪書」を記し始めたのか?決して、出版して印税収入を得るためではなかった筈だ。 60歳になって雲巌寺の洞窟に入って筆を取ったことは彼の最終的な到達地点だったのだろう。

三界書_02.jpg

宮本武蔵のような達人でもなく、私のような普通の人間がしたためる自説に何の意味があるものなのか?
しかし、その境界を越えてこその私説・三界ノ書とも言えるのです。
通説常識とか、既存価値とか、権威評価とかそういったものに囚われている限り目を開くことは出来ません。

武蔵の二刀流開眼は如何にして誕生したか?この部分だけでも常人とは一線を画するものがありますね。 

☆ 


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それぞれの無人駅 [ギャラリー]

雪の無人駅.jpg

雪の中の無人駅
頑固な老人の生き様を見せてくれているようだ。 

☆ 

unmanned_station-B.jpg

夜更けに降り立った駅は遠く離れた無人駅
まるでホッパーの絵のような世界だった。 

station.jpg

40年前のスケッチブックには
小田急線沿線・梅ヶ丘にあった木造の無人駅が描かれていた。

☆ 


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