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残骸処理から再生へ [制作日記]

閑話休題。頭の中を空っぽにして、深呼吸をしてから少しばかり新鮮な空気を入れてみる。これまで数々の落書きやらイラストらしきものを、趣味の作品であったり時には生活の糧・収入源であったり色んな場面で創り出してきたが、記憶の押し入れの奥からそれらの息づかいが聞こえてくる様な気がした。

イメージ_心境.jpg

かつて愛用マシンとして使用していたMatcintosh にはたくさんの画像データが埋まっているが、中でも二十年以上も前になるホームページ全盛期の頃に作ったポータル仕様のトップページは今ではゴミと化して目まいがするほどに散乱している。

実際に使われていたものもあればお蔵入りとなって日の目を見ずに終わったものもあるが、大変な労力と時間を費やしたことを考えると時には引っ張り出して当時の“熱意”を呼び起こしたいような気もする。

FROM-SITES.jpg

若い頃はポスターやチラシを作ったりミニコミ誌や新聞も発行した時期があったが、インターネットが普及してメディアと言えばホームページに移り換わった時代で、例に漏れず私もサイト作りに夢中だった。

中でも力を入れていたのは『キャラ誕』というキャラクタービジネスを志向したポータルサイトだったが、結局力不足のため頓挫してお蔵入りになってしまった。
『キャラ誕』というタイトルは「キャラクター誕生」を短くしたもので「キティちゃん」や「ドラえもん」を超える人気キャラクターを参加型シェアリングで生み出そうという発想のポータルサイトで、かつて山口百恵やピンクレディーたちを輩出したTV番組「スター誕生」からネーミングをもじったものだったが時期尚早で意気込みだけが空回りして終わってしまった。

キャラ誕_a.jpg

押し入れの物置をひっくり返して眺めながら徒然に思い返してみると…実に色々と悪戦苦闘して来たなぁと独り感心してしまう。
ふと放置されたままのひとつの画像に眼が行った。それはMacromedia FLASH というアプリでミニ・アニメーションづくりに励んでいた頃の“残骸”で、まったく独りよがりで落描きの様なチープなものばかりだったがFLASH を使ったスタイルの漫画を試行錯誤していた頃のものだった。

ロボッチィ_icon.jpg
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安定して続ける事が出来ずに結局放置された“残骸”のひとつになってしまったが、『キャラ誕』や『ふらコミ』のコンセプトは生かしたままで何か別の姿で再生できるのではないかと考えるようになった。
残骸処理から再生に生かせれば、これこそ今日的な“瓢箪から駒”と言えるだろう。

<2017年7月・記>より

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漫描雑譚/貸本屋時代 [ギャラリー]

自己の文化面を形成したルーツを辿れば、原風景として映画館と貸本屋が浮かび上がってくる。どちらも私の人生や性格形成に大いに影響を与えていると思える。映画館は地方都市において数少ない貴重な娯楽で、両親は幼い私を夜の9時過ぎから始まる「ナイトショー」と呼ばれる割安時間帯によく連れて行ってくれたものだ。年の離れた姉が大映映画の大部屋女優だった事もあり何かと芸能界には興味のある家庭環境だった。
そして情操教育を担ったもう一方として貸本屋の影響も大きかった。運良く近所に貸本屋が二軒もあって、学校から帰ると毎日のように小銭を握りしめて通った事を思い出す。小学校に行くようになってから親の買い与えてくれる漫画では飽き足らなくなって、自分で貸本屋に出掛けるようになりそこで見つけたのが普段目にする雑誌漫画とは異なった「劇画」という世界だった。

貸本「影」.jpg

現在でもコミックのレンタルはあるけれど時代の様相が違っていて、当時は乏しい娯楽の中の少ない選択肢のひとつとして、特に子供たちにとっては貴重な存在だった。そして子供が背伸びして大人の世界らしきものを覗き見る、妖しくもスリリングな場所でもあったようだ。
学校を終えて外から遊んで帰って来ると、テレビを見るか貸本屋に足を延ばすのが日課になっていた。馴染みの貸本屋には「少年クラブ」「冒険王」「ぼくら」といった一般的な月刊誌も置かれていたが、書店では見られない様なボール紙製ハードカバーの単行本が私のご贔屓だった。一世代前の赤本と呼ばれた祭りや夜店で路地に並べて売られていた粗末な漫画本から少し発展した程度の冊子だったが、それでも内容的には“輝く時代”を反映していたものだった。
今の私たち世代が(比較的に)根本的に世間に対して絶望視しないのは、子どもの頃に培った泥にまみれたバイタリティのような感性があるからかも知れないと思うようになった。その原風景として私は個人的過ぎるかも知れないが、妖しく危なげな環境との同居が大きな要素だった様に思える。貸本屋という独自の閉鎖空間で提供されるアウトロー的な文化は子ども達に必要な反骨と自立心を育む栄養素だった。

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カギっ子(両親が共稼ぎで家に帰ると鍵がかかっているのでそう呼ばれていた。「現代っ子」と並んで当時は流行語にもなっていた)だった私は、家に帰ると机に置かれた十円玉が3枚の小遣い30円を持って貸本屋に直行した。雑誌一冊が5円、単行本が10円で二冊くらい借りてくるのが通常だった。残りの小遣いは帰り道に駄菓子を買うためのもので、家に着くと菓子を食べながらテレビのチャンネルをひねる。お昼の3時~4時頃によく見ていたのは色っぽい三ツ矢歌子の出演していた新東宝の映画だったり、榎本健一「エノケンのとび助冒険旅行」伴淳三郎「名探偵アジャパー氏」といった喜劇だった。
テレビが終わるといよいよ借りてきた本をみるのだが、このテレビ映画を見た後に貸本劇画の世界にひたる至福の時間がたまらなく私の情操を豊かにしたようだ(笑)

劇画_台風五郎.jpg

学校の図書館とは勿論まったく違う世界なのだが、児童書とは異なった妖しげな劇画の世界に触れる貸本屋というスペースに匹敵するものが今の子供たちの世界にはあるのだろうか?それはある意味で雑菌の入り混じった混沌の世界かも知れないが間違いなく現実に存在する“生きる命のある世界”なのだ。
かつての貸本とその時代を振り返った時、懐かしさと共に幼かった時代に享受した娯楽に照れながらも感謝してしまう。

 

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